☆甲子園出場校ぶらり散策日記〜休部からの復活〜
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鶴丸 深志’
2010年10月12日 08:47 visibility6973
茨城県の西部に位置し、栃木県と隣接し、野球殿堂入りした故・田宮謙次郎氏や日本プロゴルフツアー永久シード保持者の片山晋吾の出身地である、人口約11万人の筑西市に明野高校(旧・明野町)があります。
明野高校は、春の選抜に1回、夏の選手権に1回出場し、甲子園通算成績は1勝2敗です。
明野高校といえば、公立校ながら開校3年目で1979年(昭和54年)第61回夏の選手権大会に初出場し、初戦で名門・高松商に延長13回サヨナラで勝利し、見事に甲子園初出場で初勝利を飾りました。
また、1984年(昭和59)第56回春の選抜大会には、左のエース鈴木投手を擁し茨城県勢初となる取手二高とのアベック出場を果しております。
しかし、その後は不祥事や常総学院の台頭により、甲子園出場経験のある学校も定員割れを起こすまで衰退した。
野球部も部員確保に苦労する時期を迎え、1998年から4年間は茨城大会から明野高校の名前は消え、出場していない間はグラウンドに雑草がひざ下まで伸びた。
だが、「明野から野球部の火を消すな!」と、前回の日記で記述した山野隆夫校長を中心に復活を目指した。その結果、2002年には10人で茨城大会復活を果たすと、2004年には部員が19人に増え1勝も達成した。
次第に近隣の中学の期待値も上がり、部員も集まるようになり、マネジャー3人を含む30人で迎えた2009年の県大会では、16年振りとなるベスト16入りを見事に果したのである。
※なお最後の写真は、田宮謙次郎氏の母校で、昭和34年夏の甲子園出場を果している、下館一高です。
以上です。
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