☆奇跡のバックホーム~松山商業 VS 熊本工業~

1996年(平成8年)第78回夏の選手権大会決勝戦は、松山商業と熊本工業の古豪対決となった。

松山商は第68回大会以来10年ぶり8回目の夏の選手権大会決勝進出。熊本工は川上哲治を擁した第23回大会以来、59年ぶり3回目の決勝進出で、熊本県勢初の夏の選手権大会優勝を目指した。決勝で愛媛代表と熊本代表の対戦は初めてで、松山商と熊本工の対戦も初めてであった。公立校同士の決勝戦は、現時点で春夏通じてこの試合が最後となっている。

 

3 - 3 で迎えた延長10回裏、1死満塁、熊本工の本多がライトへ大飛球を放った。打球は浜風に戻され、背走していた代わったばかりの矢野は前進。それでも捕球した位置はサヨナラ犠飛には十分な距離であった。誰もが熊本工の優勝と思ったとき、矢野の約80メートルの返球はダイレクトでキャッチャー石丸のミットに届いた。間一髪のアウトとなった。スタンドの拍手はしばらく鳴りやまなかった。矢野は11回表の先頭で二塁打を放ち勝ち越しのホームへ。この回3点を奪った松山商が頂点に立った。この優勝で松山商は、大正、昭和、平成の3時代で甲子園優勝を果たした。これは、全国唯一の快挙である。

 

 

松山商業は1901年(明治34年)に愛媛県立商業学校として創立され、野球部も同年に創部された。
夏の全国大会予選には、松山中(松山東)に次いで、今治中(今治西)、北予中(松山北)とともに、1918年(大正7年)の第4回大会予選(四国大会)に初参加した。結果は、香川商(高松商)に 3 - 7 で敗退となった。
夏の予選初勝利は、1919年(大正8年)の第5回大会予選(四国大会)で、北予中(松山北)に 4 - 0 で勝利した。
夏の予選通算成績は333勝75敗、優勝26回、準優勝10回である。

甲子園通算成績は80勝35敗1分、最高成績は優勝7回(春2回、夏5回)である。

 

一方、熊本工業は1898年(明治31年)に熊本県工業学校として創立され、野球部は1922年(大正11年)に創部された。
夏の全国大会予選には、九州学院に次いで、宇土中(宇土)、鹿本中(鹿本)、熊本商、済々黌、玉名中(玉名)、八代中(八代)とともに、1925年(大正14年)の第11回大会予選(南九州大会)に初参加した。結果は、宇土中(宇土)に 0 - 7 で敗退となった。
夏の予選初勝利は、1928年(昭和3年)の第14回大会予選(南九州大会)で、宮崎中(宮崎大宮)に 10 - 0 で勝利した。
夏の予選通算成績は308勝74敗1分、優勝21回、準優勝18回である。

甲子園通算成績は46勝42敗、最高成績は準優勝3回(夏3回)である。

 

 

公立高校同士の決勝戦、果たして次はいつ実現するのだろうか?

 

 

 

 

 

以上です。

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