☆長崎県勢初の甲子園優勝校~清峰高校~
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鶴丸 深志’
2020年04月26日 23:24 visibility1234
2009年(平成21年)の春は長崎県民にとって夢のような出来事だった。
この年の第81回選抜高校野球大会に出場した清峰は、大会屈指の本格派右腕・今村猛を擁し、前年秋の九州大会チャンピオンとして注目を集めた。
初戦の日本文理戦から今村の右腕は冴えた。被安打は7本も最速148キロをマークし、12奪三振。打っても第1打席に選抜大会通算600号となる本塁打をバックスクリーン右へ放り込むなど、4 - 0 の完封勝ち。
2回戦の福知山成美戦は投手戦となったが、これも11奪三振。1 - 0 で2試合連続の完封勝ちを達成する。
準々決勝の箕島戦は 8 - 2 の大勝。今村は8回を投げて被安打4。3試合連続の二ケタ奪三振となる10個を記録し無失点でマウンドを降りる余裕を見せた。
3試合連続無失点投球を続けてきた今村が初めて失点を喫したのが準決勝の報徳学園戦。4 - 1 で勝利したが、ここまで3試合続けてきた二ケタ奪三振にはあと1つ足りずに9個で終わった。
それでもここまでの4試合で35イニングを投げ、被安打25の42奪三振で失点はわずか1。大会屈指の右腕の名に恥じない投球内容で決勝に駒を進めた。
決勝戦の相手は大会No.1左腕の菊池雄星を擁する花巻東となった。菊池もこの大会で2試合連続完封を達成するなど、ここまでの4試合で31イニングを投げて被安打18の37奪三振。自責点はわずかに2点で、最速は152キロをマークしていた。
決勝戦は、大方の予想通り、清峰の今村、花巻東の菊池による投手戦となった。6回まで 0 - 0 の均衡が破れなかったが、清峰は7回二死から嶋崎が四球で出塁すると、橋本が中越え2塁打を放ち、1塁から嶋崎が一気に生還。1点を先制した。この1点をエース今村が140キロ台の直球、切れのいいスライダーを生かして守り抜いた。9回二死一、二塁のピンチも、最後の打者を平凡な左飛に打ち取り、被安打7で完封した。今村は1、2回戦に続いて今大会3度目の完封勝利を飾った。
清峰はこの3年前の選抜大会でも決勝戦進出を果たしていたが、強豪・横浜の前に 0 - 21 の歴史的大敗を喫していた。3年越しのリベンジを達成した清峰は、春夏通じて長崎県に初めて甲子園優勝をもたらしたのである。また、現時点で清峰の甲子園優勝が春夏通じて公立校最後の優勝となっている。
清峰高校は、1952年(昭和27年)に長崎県立北松南高等学校として創立され、2003年(平成15年)に現校名に改称された。野球部は1957年(昭和32年)に創部された。
夏の全国大会予選には、東山学院、長崎西、鎮西学院 、長崎商、長崎師範、海星、対馬、大村、佐世保南、瓊浦(県立)、諫早、西海学園、佐世保工、佐世保商、東和、長崎工、長崎南山、猶興館、諫早農、川棚、佐世保北、島原、島原商、北松農、長崎東、五島、九州文化学園、諫早商、瓊浦に次いで、1957年(昭和32年)の第39回大会予選(西九州大会)に初参加した。結果は、諫早に 9 - 6 で勝利し、予選初勝利を挙げた。
夏の予選通算成績は70勝60敗、優勝3回、準優勝3回である。
果たして、この先、甲子園で公立校が優勝する日は来るのだろうか?
以上です。
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