☆第1回全国中等學校優勝野球大会予選参加校~斐太高校~
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鶴丸 深志’
2020年06月07日 17:00 visibility1257
2015年7月25日は岐阜県飛騨地区の人々にとっては忘れることのできない1日になった。
第97回全国高等学校野球選手権 岐阜大会の決勝に勝ち上がったのは、好投手・根尾(中日・根尾昂の兄)を擁する斐太高校であった。地元の人々は、飛騨地区の高校から初となる甲子園出場に夢が膨らんだ。
しかし、結果は甲子園出場経験を持つ岐阜城北高校に 3 - 7 で敗れ、甲子園出場の夢は叶わぬまま飛騨の長くて熱い1日は幕を閉じた。
岐阜県立斐太高校は岐阜県北部の高山市に所在し、1886年(明治19年)に高山中学として創立され、県内では岐阜高校に次ぐ歴史を有する。現校名の「斐太」は、万葉集に由来しているようだ。
野球部の歴史をひもとくと、1900年(明治33年)に新しく赴任してきた英語教師の佐々木粛先生が生徒に野球を教えたのが草分けと伝えられており、県内では岐阜高校、大垣北高校に次ぐ歴史を有する。ユニフォームの「HIDA」のマークは創部以来の伝統のようだ。
野球部が創部され遠征も行われた。明治の終わり頃には、岐阜市で開催された旧制中学の東海五県連合野球大会に高山から4~5日も歩いて参加し、11校中3位の成績を収めた。大正の初めに名古屋市で開催された同大会には自転車を駆ったという。長い歴史の中には不遇もあった。1956年(昭和31年)には校舎全焼という災難に遭い、財政難などから硬式野球部は23年間休止した。
夏の全国大会予選には、1915年(大正4年)の記念すべき第1回大会予選(東海大会・リーグ戦)に、県内では岐阜高校とともに初参加した。結果は、富田中(四日市)に 2 - 12 、愛知四中(時習館)に 0 - 29 と大敗し、0勝2敗の成績で終えた。
夏の全国大会予選初勝利は、1921年(大正10年)の第7回大会予選(東海大会)で、愛知二中(岡崎)に 12 - 7 で勝利した。
夏の予選通算成績は48勝68敗1分、最高成績は準優勝1回である。
斐太高校野球部は120年の歴史と伝統を誇り、雪の多い飛騨地区の高校野球をリードしてきた。
斐太高校の悲願達成に期待したい。
以上です。
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