☆千葉県最古の高校ラグビー部~千葉東高校~
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鶴丸 深志’
2020年10月18日 21:00 visibility2817
「ピッ! ノックオン、スクラム、千葉東ボール」
綱島竹治先生が千葉東高校の前身である千葉県立千葉第三高等学校へ体育主任として赴任したのは、昭和26年6月のことである。千葉三高の前身が千葉市立高等女学校であったため、当時は未だ女子生徒が大部分で、3年生は全員女子であり、2年生、1年生に僅か数十名づつの男子生徒が在籍するに過ぎなかっ た。そのため、生徒会その他クラブのリーダーはほとんど女子生徒に占められ、男は意気挙らず、教室でも運動場でも影が薄く、淋しい限りであった。
そこで綱島先生は何とかして男子の志気を高揚したいと考え、男子でなければ出来ないスポーツを導入しようと考えた。それには男性的スポーツの花形、肉弾相撃つラグビーに限ると思った。
当時、千葉三高の校長は諸川芳雄先生で、千葉県体育協会副会長や高体連会長をつとめた先生で、体育については特に理解が深く、体育については一切を綱島先生に任せた。綱島先生は早速グランドに木製のゴールポストを建て、正課体育時は専らラグビーをやるということにしたのである。男子の教材はラグビー一点張りで、当時近所の高校の話題になったものである。この頃ラグビーを教材とする体育研究会を千葉三高で開催し、県下男子高校の先生方が数十人見学に来校されたことがある。また、盛んに校内ラグビ一大会を開催し、雪中鼻血を流す生徒や鎖骨を骨折する生徒が出たが、臆せず屈せずラグビーを続け志気の高揚に努めた。これらの校内指導に刺激されてか、ようやくラグビ一部を設置したいという気運が生徒の間で高まり、遂に千葉県に初めてラグビ一部が結成されたのである。実に昭和26年冬のことである。
この頃、千葉高校体育界で大学時代ラグビーを専門にやったという教員は 2人しかいなかっ た。即ち千葉工業高校の村越林太郎先生と、佐倉高校の米田敏郎先生である。この両先生は綱島先生の学生時代(現筑波大学の前身)の後輩に当るので、早速両氏に呼びかけ、ラグビ 一部設置を懇情し、間もなく両校とも実現をみたのである。
~創部30周年記念誌より 一部引用~
千葉東高校は千葉県千葉市稲毛区に所在し、1941年(昭和16年)に千葉市立千葉高等女学校として創立された千葉県内有数の進学校である。主な卒業生は、桐谷美玲、小島瑠璃子などである。
ラグビー部は1951年(昭和26年)に創部され、千葉県最古の歴史を有する。花園には4回出場し、通算成績は4勝4敗である。
参考までに、千葉県で全国大会(花園ラグビー場は第42回大会から使用)出場経験のある高校は、流経大柏 27回、千葉工 4回、千葉東 4回、市立銚子 3回、銚子商 2回、県立千葉 2回、専大松戸 2回、佐倉 1回、千葉南 1回、千葉北 1回、八千代松陰 1回である。
千葉県勢初の全国大会出場は千葉工(第38回大会)、千葉県勢初勝利は銚子商(第45回大会)である。
千葉東高校の花園復活に期待したい。
以上です。
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