☆LaBOLA登録13周年記念 ~全国で唯一の特例ユニフォーム・佐賀西高校~
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鶴丸 深志’
2021年03月08日 22:00 visibility3158
~写真は栄城野球部100周年記念誌より~
佐賀西高校の源流である藩校「弘道館」は、佐賀城内にあった。佐賀城は別名「栄(さかえ)城」とも呼ばれる。佐賀西高校は、前身の旧制佐賀中学時代から栄城を音読みした「えいじょう」をさまざまな場面で使ってきた。同窓会も「栄城会」と称している。
野球部のユニフォームにも「EIJO」が記されている。1921年(大正10年)、当時の主将としてナインを率いる伊丹選手(後に野球殿堂入り)がそれまでの「SAGA」から慶應文字で「EIJO」への変更を発案した。以来、伝統が受け継がれている。
ところが、1999年(平成11年)、ユニホームに記された「EIJO」に対し、日本高野連が難色を示した。当時、新しいデザインのユニホームが全国で誕生していた。日本高野連はユニホームに付ける文字を「校名、校章、県名または地名に限る」との通達を出した。「EIJO」はこのいずれにも該当しない。
「歴史と伝統のあるEIJOば絶やしてはならん、何ば言いよ!」と、当時の佐賀県高野連理事長だった田中氏(佐賀西OB)が関係者の説得に走った。田中氏は佐賀商の監督時代に佐賀県勢初となる全国制覇を果たし、高校野球界では顔も広かった。また、学生野球の発展に尽くした伊丹氏(前述)の功績の大きさもあり、「EIJO」は全国で唯一特例的に認められた。
佐賀西高校は1876年(明治9年)に佐賀変則中学校として創立された歴史を有し、佐賀県内屈指の進学校である。
野球部は1902年(明治35年)に創部され、佐賀県内では唐津東、有田工に次ぐ歴史を有する。
夏の全国大会予選には、1919年(大正8年)の第5回大会予選(九州大会)に佐賀県勢としては、有田工、佐賀師範とともに初参加した。結果は、福岡商(福翔)に 12 - 0 で勝利し、予選初勝利を挙げた。
1921年(大正10年)の春、五高からコーチを招き、本格的な近代野球を取り入れた猛練習によりチーム強化を図り、1922年(大正11年)の第8回大会予選(九州大会)におて、嘉穂中(嘉穂)、鹿児島商、沖縄一中(首里)、八女中(八女)、長崎商に勝利し、佐賀県勢として初めて甲子園出場を成し遂げた。
夏の予選通算成績は197勝96敗4分で、甲子園には夏のみ7回(戦前6回、戦後1回)出場している。
甲子園に「EIJO」のユニフォームが帰ってくるのは何時になるのだろうか?
以上です。
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