☆センバツ史上8人目のノーヒットノーラン ~鉾田一高~

 

1976年(昭和51年)の第48回選抜高等学校野球大会に春夏通じて初めて出場した鉾田一は、左のエースで四番の戸田がチームの中心であった。その戸田は、1回戦の糸魚川商工戦で選抜史上8人目のノーヒットノーランを達成した。
続く2回戦は、古豪・高松商に 11 - 8 で打ち勝った、同じく初出場の崇徳との対戦になった。
この試合は投手戦となり終盤まで 0 - 0 、均衡を破ったのは鉾田一だった。8回裏、戸田の左翼本塁打で 1 - 0  。そして最終回のマウンド、戸田のピッチングはますます冴えを見せる。連続三振で、既に2死。誰も鉾田一の勝利を疑う者はいなかった。2試合連続完封で決勝アーチの「戸田ワンマンショー」が完結する寸前、2死ランナー無しから、信じられないことが起きた。樽岡の打球は一塁ゴロ、「万事休す」と誰もが思ったその瞬間、一塁手がトンネル、2死一塁。続く小川に中前に運ばれ、永田には右中間に2点三塁打を放たれて逆転を許してしまう。こうなると崇徳の猛攻はおさまらない。応武に左前打を打たれて3点目を献上すると、動揺した戸田はもう何が何だか分からなくなる。牽制悪送球、四球でさらにピンチを広げて、最後は兼光の投前タイムリー内野安打。鉾田一ナインが呆然と見やったスコアボードの最終回には「4」が掲示されていた。
崇徳はこの奇跡の逆転勝利で完全に波に乗り、準々決勝は福井に 4 - 0 で完勝、準決勝では日田林工を 3 - 1 で退け、決勝に進出。決勝戦では小山を寄せつけず、エース黒田が完封 5 - 0 でセンバツ初出場で初優勝の栄冠を手にした。一塁手の失策がなければ、崇徳の優勝はなかった。


鉾田一高は、メロンの生産量日本一を誇る茨城県鉾田市に所在し、1922年(大正11年)に茨城県で7番目の旧制中学として創立された歴史を有し、鹿行地区有数の進学校である。
野球部は1926年(大正15年)頃に創部された。
夏の全国大会予選には、1948年(昭和23年)の第30回大会予選(北関東大会)に初参加し、結果は茨城に 1 - 3 で敗退となった。
夏の全国大会予選初勝利は、1951年(昭和26年)の第33回大会予選(北関東大会)で、水戸工に 6 - 3 で勝利した。
夏の予選通算成績は119勝70敗である。
甲子園には春1回、夏2回出場、甲子園通算成績は1勝3敗である。

 

 

鉾田一の古豪活躍に期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

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