☆センバツへの道 ~21世紀枠大分県推薦校・大分舞鶴高校~

ユーミンの名曲『ノーサイド』、この曲のモデルとなったのは、天理が大分舞鶴に 18 - 16 で勝利し、5度目の優勝を決めた「伝説の一戦」といわれる、1984年(昭和59年)1月7日の第63回全国高等学校ラグビーフットボール大会の決勝戦である。ロスタイムのトライで2点差に追い上げた大分舞鶴のキッカーが、決めれば同点で両校優勝というゴールキックを外して敗れたシーンがユーミンの心を刺激したとされている。野球の試合でユーミンの心を刺激し生まれた曲はあったかしら?
大分舞鶴の花園通算成績は81勝54敗2分、優勝1回、準優勝3回で、全国の公立校の中では秋田工の134勝に次ぐ勝利数を誇る。

 

 

 

大分舞鶴高校は大分県大分市今津留に所在し、

1951年(昭和26年)に創立され、大分県で唯一の理数科を有する県内有数の進学校である。野球部も同年に創部された。

夏の全国大会予選には、大分県内では大分師範、 大分上野丘 、大分商 、中津南 、佐伯鶴城 、大分工 、臼杵 、大分鶴崎 、宇佐 、高田 、津久見、日田 、別府鶴見丘 、竹田 、四日市 、杵築 、玖珠 、国東 、佐伯豊南 、中津商 、日出暘谷 、日田林工、大分東、芸術短大緑丘、三重、安心院、宇佐産業科学、大野 、三重農に次いで、1952年(昭和27年)の第34回大会予選(東九州大会)に明豊とともに初参加した。結果は、初戦で日田月隈(現・日田林工)に 4 - 1 で勝利し予選初勝利を挙げた。
夏の予選通算成績は69勝69敗である。

春夏通じて甲子園出場はないが、今秋の大分県大会では準優勝、秋季九州大会では初戦で準優勝した大島と引き分け再試合を演じ(再試合では 2 - 3 で惜敗)、近年は好成績を残している。

 

 

大分舞鶴高校の21世紀枠での甲子園出場に期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

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