☆消えた準優勝校 ~京都二商~ 【リメイク版】

甲子園でこれまでに同一都道府県が対戦したのは、春夏合わせて22回ある。

 

 

【北海道対決】
1994年夏  2回戦
北海(南北海道)  10 - 1  砂川北(北北海道)

 

【東京対決】
1972年春  決勝☆
日大桜丘  5 - 0  日大三
1977年夏  2回戦
早稲田実(東東京)  4 - 1  桜美林(西東京)
1995年夏  準々決勝
帝京(東東京)  8 - 3  創価(西東京)
2010年夏  3回戦
関東一(東東京)  10 - 6  早稲田実(西東京)

 

【愛知対決】
1933年春  準々決勝
中京商  3 - 1  享栄商
1937年春  準決勝
中京商  4 - 1  東邦商
1938年春  決勝☆
中京商  1 - 0  東邦商
1941年春  決勝☆
東邦商  5 - 2  一宮中

 

【京都対決】
1936年春  準々決勝
平安中  3 - 1  京都師範
1940年春  準々決勝
京都商  2 - 1  平安中
1948年春  決勝☆
京都一商  1 - 0  京都二商
1953年春  2回戦
伏見  3 - 2  平安

 

【大阪対決】
1961年春  2回戦
浪商  1 - 0  明星
2017年春  決勝☆
大阪桐蔭  8 - 3  履正社

 

【兵庫対決】
1925年春  準々決勝
甲陽中  5 - 2  第一神港商
1928年春  準々決勝
関西学院中  5 - 1  甲陽中
1930年春  準決勝
第一神港商  4 - 2  甲陽中
1931年春  2回戦
第一神港商  5 - 4  明石中

 

【和歌山対決】
1931年春  2回戦
和歌山中  4 - 1  海草中
1933年春  2回戦
海草中  3 - 2  海南中

 

【熊本対決】
1958年春  準決勝
済々黌  5 - 2  熊本工

 


甲子園の決勝で同一都道府県が対戦したのは5回で、何れも春の選抜大会である。この決勝に進出した7校のうち唯一、甲子園に戻って来ることのないチームがある。それは京都二商である。

 

 

 

 

京都二商は1910年(明治43年)、京都市立第一商業学校の生徒数増加に伴い京都市立第二商業学校として開校された。1948年(昭和23年)の学制改革で、京都市立西陣商業高等学校と改称されたが、同年に高校再編で閉校となり、校舎は新制中学の京都市立北野中学校に引き継がれることとなった。
北野中学の正門は京都二商の正門のイメージのまま残されているようだ。また、現在の校舎も京都二商のイメージのまま配置されているようだ。


野球部は1921年(大正10年)に創部されたといわれている。
夏の全国大会予選には、京都府勢としては京都二中(鳥羽)、京都一中(洛北)、京都師範、京都一商(西京)、同志社中(同志社)、京都美工(銅駝美工)、京都五中(山城)、立命館中(立命館)、東寺中(洛南)、京都染織(洛陽工→統合)、平安中(龍谷大平安)、京都中(閉校)、京都薬学(京都薬科大)、東山中(東山)、宮津中(宮津)に次いで、1921年(大正10年)の第7回大会予選(京津大会)に初参加した。結果は、膳所中(膳所)に 4 - 13 で敗退となった。
夏の予選初勝利は、1923年(大正12年)の第9回大会予選(京津大会)で、東山中に 8 - 4 で勝利した。
夏の予選通算成績は18勝23敗、優勝1回である。

 

1948年(昭和23年)の春、第20回選抜大会に出場した京都ニ商は、決勝で同じ京都の京都一商と対戦、結果は 1 - 0 で惜敗し、優勝にはあと一歩届かなかった。
そして、この年の夏の予選は京都ニ商にとって『最後の夏』となった。学制改革で校名が西陣商業と改称されての参加であった。
奇しくも、初戦の相手は春の選抜大会で決勝を戦った京都一商(西京商として参加)となった。結果は、2 - 3 で惜敗。同点で迎えた9回表に西陣商が1点勝ち越し、その裏、西京商が二死からの劇的な逆転サヨナラ勝ちであった。
この激闘を制した西京商はその勢いのまま甲子園の切符を手にした。一方、西陣商はこの年の10月に歴史の幕を閉じたのである。

 

 

 

北野中学校の校内には、京都二商の記念碑が建てられている。

記念碑の二本線は「二商」を意味しているのだろうか?
京都二商野球部の歴史を知る人は、春の選抜大会「二位」、あるいは、閉校の年に繰り返された京都一商との「二度」の激闘にも見えるであろう。

 

 

 

 

 

以上です。

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