☆105回目の夏 ~高知県最古の高校野球部・高知追手前高校~
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鶴丸 深志’
2023年08月14日 00:00 visibility1620
高知県に野球が伝わったのは、一般的には1903年(明治36年)~1904年(明治37年)頃といわれているが、それ以前に、県立一中(高知一中→高知追手前)に赴任してきた英語教師が野球の手ほどきをしたともいわれている。
高知県で最初にできた野球部は、高知一中で1902年(明治35年)とされている。まもなく、高知二中(小津と思われる)との間で試合も行われたが、やがて下火となり、1910年(明治43年)には休部してしまった。
1915年(大正4年)の第1回全国中等学校優勝野球大会の四国予選に高知勢は1校も参加しなかった。
しかし、この大会を契機に1916年(大正5年)には高知一中で野球部が復活、さらに、高知三中(安芸と思われる)、高知工、高知商で野球部が創部され、やっと野球熱が高まってきた。
その後、高知県勢も四国予選に参加するようになったが、香川・愛媛県勢の壁に阻まれ、全国大会に初めて出場したのは1946年(昭和21年)であった。
高知県最古の野球部である高知追手前高校が、夏の高知大会準々決勝で高知高校と対戦し、0 - 9 で敗退となった。
高知追手前高校は高知県高知市に所在し、1878年(明治11年)に高知中学校として創立された歴史を有する。
野球部は1902年(明治35年)に創部され、高知県最古の歴史を有する。甲子園には、春1回、夏1回出場し、甲子園通算成績は4勝2敗である。高知県勢として初めて甲子園に出場を果たし、甲子園初勝利を挙げたのが高知追手前高校である。
夏の全国大会予選には、高知県勢としては、高知商、高知工に次いで、1922年(大正11年)の第8回大会予選(四国大会)に初参加した。結果は、三豊中(観音寺一)に 1 - 9 で敗退となった。
夏の予選初勝利は、1925年(大正14年)の第11回大会予選(四国大会)で、北予中(松山北)に 11 - 10 で勝利した。
夏の予選通算成績は90勝99敗1分である。
輝かしい歴史と伝統を誇る高知追手前高校の活躍に期待したい。
以上です。
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