☆創部120年を超える高校野球部 秋季交流戦観戦記 ~「県北の雄」大田原高校~
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鶴丸 深志’
2024年08月25日 21:00 visibility562
大正11年8月2日。大田原中が、関東大会初出場で決勝戦に駒を進め、常勝・竜ヶ崎中と死闘をくりひろげていた。
2回に大田原中が3点を先制すると、その裏竜ヶ崎中は4点を奪い 4 - 3 と逆転。6回に大田原中が1点取り 4 - 4 の同点に追いつくと、その裏竜ヶ崎中は決定的と思える4点を奪って 8 - 4 と突き放す。あきらめない大田原中ナインは、8回に4点を奪って、とうとう 8 - 8 の同点としたのであった。
前日の準決勝でも銚子商に延長10回、4番・中津川のライト前ヒットで 8 - 7 とサヨナラ勝ちした粘りがある。大田原中の全国大会初出場の期待が高まった。しかし、二日連続で、19インニグス目の投球となる大田原中・渡辺投手も疲労の色濃く、9回裏、竜ヶ崎中に1点を奪われて、くやしいサヨナラ負けとなった。
しかし「県北の雄」大田原は、この後も、不死鳥のように甲子園に挑み続ける。
~栃木県高校 (中等) 野球の歩み より~
この「県北の雄」大田原高校の試合が観たくなり、栃木県高校野球連盟第17回交流戦(秋季県大会のシード決定戦)が行われているエイジェックスタジアム(栃木県総合運動公園野球場)に向かうことにした。
♪北千住駅のプラットホーム
銀色の改札
思い出話と 想い出ふかし
腰掛けたベンチで
北千住駅といえばこの曲だ。銀色の改札を通って、東武鉄道の特急スペーシアに乗車、向かうは春日部駅、いや、西川田駅た。
西川田駅から10分少々歩けばエイジェックスタジアムだ。足音が加速する。ここは過去に、第20回関東高校ラグビー新人大会を観に来た場所だ。
栃木県立大田原高校は栃木県大田原市に所在する男子校で、1902年(明治35年)に栃木県立大田原中学校として創設された歴史を有するSSH指定校である。元みんなの党代表の渡辺喜美氏やU字工事の母校として知られている。
野球部は、1903年(明治36年)に創部され、栃木県内では宇都宮、足利工、真岡、作新学院に次ぐ歴史を有する。ユニフォームはアイボリー、胸には漢字で「大田原」と書かれている。
夏の全国大会予選には、栃木県勢としては真岡、宇都宮、足利工、宇都宮白楊に次いで、1922年(大正11年)の第8回大会予選(関東大会)に初参加した。
結果は、初戦の太田中(太田一)に 17 - 5 で勝利し、予選初勝利を挙げた。その後も、準々決勝では真岡中(真岡)に 9 - 5、準決勝では銚子商に 8 - 7 で勝利し、予選初参加で決勝進出を果たした。
甲子園をかけた決勝戦は、関東大会4連覇中の竜ヶ崎中(竜ヶ崎一)との対戦となり、8 - 9 で惜敗、あと一歩のところで甲子園出場の夢が絶たれた。
夏の予選通算成績は118勝95敗、準優勝2回。甲子園出場は未だない。
試合の方は、強豪・國學院栃木を相手に、1回表にツーランホームランで2点を先制したが、2回裏にミスが絡み6点を奪われ逆転を許す。その後も加点され、2 - 11(7回コールド)で敗退となった。
野球部創部122年、「県北の雄」と称される伝統ある大田原高校。
これからも、不死鳥のように甲子園に挑み続けて貰いたい。
以上です。
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