☆関東高校ラグビー大会観戦記 〜群馬県勢初の全国大会出場校・高崎高校~

群馬県立高崎高校は群馬県高崎市に所在し、明治30年(1897年)4月に群馬県尋常中学校群馬分校として創立された男子校で、群馬県内有数の進学校である。

ラグビー部の創立は、第二次世界大戦の終った翌年昭和21年(1946年)11月3日である。

ラグビー部創立の動機は、敗戦により日本国民の生活は安定を失い、社会秩序は乱れ、中学校(昭和23年高等学校になる)の生徒の間にも顔廃的気風が横溢しつつあった。
その時、本校の先輩であり、また学校医である、高草木喬先生が、体育教官の富田俊一先生と「何か生徒に心身をうちこめるような運動はないだろうか」と話し合われた。その時高草木先生が、「ラグビー」が最適ではないかと切り出された。富田先生は一も二もなく賛成され、話はまとまった。そこで、当時の学校長内藤由己男先生に「ラグビ一部創立」の承諾を願いでたところ、「バック・ボーンのある生徒を」と内藤校長も考えておられたので、快諾された。
そこで、高草木先生は部員を集めるため、希望者を放課後教室に集めてラグビー競技について詳しく繰り返し繰り返し説明された。
生徒の中には、何か不満をぶっつけたいという気持もあって、ラグビーという全然未知の、ふんまんの晴らせそうな部を創立しようと20名程の生徒が集り、昭和21年11月3日の交文化の日を期して、高崎中学校ラグビー部が結成された。
創立にあたって、持導者として一番配慮しなければならないことは、中等学校ラグビーとして、日本で最も古く、日本ラグビー史の第一頁に記されている、群馬県立太田中学校ラグビー部 (明治40年創立)の前例にもあるように、競技の性格上とかく暴力の具として利用されることであった。
そこで部員に時あるごとに「ラグビー精神」を説き、正しいラグビーを身につけるよう務めた。そのために「ラグビー精神」に徹した高崎高校ラグビー部が誕生した。 そして短期間に立派な発展をし、全国に名門高崎高校ありと知られるようになった。
この高草木先生の教えられた「ラグビー精神」は時はうつり、時代は変っても、高崎高校ラグビー部の精神として、部の存続するかぎり、先輩から後輩へ、上級生から下級生へと受け継れて行くであろう。
またこの高崎高校ラグビー部魂があるかぎり、ラグビー部は存続するであろう。

 

〜高崎高校ラグビー部20年史より引用〜

 

 

 

高崎高校ラグビー部は、群馬県勢として初めて全国大会に出場し、全国大会出場7回、最高成績はベスト4、通算勝利数は東農大二の30勝、明和県央の12勝に次ぐ6勝である。また、国体では2度の優勝を成し遂げている。

この名門高崎高校ラグビー部の試合かどうしても観たくなり、関東高校ラグビー大会が開催される佐野市運動公園陸上競技場に向け、セカンドカーとして納車されたばかりのレクサスLBX“Elegant”を走らせた。

 

 

 

試合の方は、全国大会出場1回を誇る赤のジャージー日大藤沢を相手に、残念ながら 7 - 54 で敗退となった。

 

高崎高校の古豪復活に期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

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