松田直樹選手のご冥福を祈りましょう…

 長野県松本市のグラウンドで2日、練習中に急性心筋梗塞で倒れた元サッカー日本代表DFの松田直樹選手(34)が、4日午後1時過ぎ、入院中の松本市の信州大医学部付属病院で死亡されました。


 まずは、偉大なプレーヤーであり人格者だった松田選手のご冥福をお祈りします。彼の死を今後につなげるためにも、日本全体のスポーツに係わる安全な環境整備を真剣に考えていかなければならないのではないか?と思います。


 


 私が救急法でよく使わせていただいてる実話の映像があります。その出来事はある女子高校生の誕生日に起きました。雨天の中、強行日程で行われた体育祭で、彼女の身に突然の異変「心室細動」が訪れ、心肺停止状態となりました。救急車が着くまでかなりの時間を要し、その救急車にはAEDがありませんでした。当時(2002年)の日本ではAEDはまだまだ普及していなく、一般市民にも扱えない、全ての救急車にも積載されていない状況でした。彼女が亡くなった後、お母様が荷物整理をしていた時に、ふと見つけたフィルムを使い作られたものです。一人でも救われる人が増えるのなら‥とその救急に係わった救急救命士と共に作成されたそうです。現在も、NPO法人「命のバトン」という広報活動を通じて、お子さんに起きた悲劇を繰り返さないようにと、小学校向けに救命講習会を行われています。


 一人でも救える命を救えるように、一人でも悲しむ人が少なくなるように、日本サッカー界がこの悲劇をどのように捉えて行くのか?松田選手が松本山雅FCの皆さんに託したかった想い‥マリノスで係わってきた人々への想い‥しっかり受け止めて、もっと「命の重み」を考えて欲しいと願います。東日本大震災では沢山の尊い命が亡くなりました。今日本は、命の尊さを問われているのではないでしょうか?


 みんなにもできる事があります…真剣に命の重みを考えましょう!!!


 


  松田選手が所属する日本フットボールリーグ(JFL)の松本山雅FCによると、松田選手は2日10時05分ごろ、グラウンドで15分間のランニングを終え、脈拍を計測中に「あー!だりぃー!」と言葉を発して仰向けに昏倒、最初は意識があったものの徐々に薄れ、心肺停止の状態になった。練習会場に自動体外式除細動器(AED)が設置されていなかったため、その場にいたトレーナーと練習を見学に来ていた看護師によって人工呼吸と胸骨圧迫が行われた。その後、松本市内の病院に緊急搬送。急性心筋梗塞と診断され手術を受け、集中治療室(ICU)で人工心肺装置をつけて治療を続け、微弱ながら心臓の鼓動が戻ったが、3日夜から徐々に血圧が下がり、4日13時06分、心拍が停止した。会見した医師によると、松田選手は心臓の左冠動脈が詰まったことで心筋の一部が壊死し、心停止の一種「心室細動」を誘発したという。今年2月のメディカルチェックでも前兆はなくと述べた。


 クラブによると、松田選手は2月にメディカルチェックを受けたが心電図や血液検査で異常はなく「極めて稀なケース」と医師はいう。7月30日のアウェー町田戦は出場停止だったが会場に足を運び、試合後は昨季まで16年間在籍した横浜の大宮戦を日産スタジアムで観戦。翌31日に松本市内で行われた松商学園との練習試合では約75分プレーするなど特に変わった様子はなかったという。


 松田選手は横浜から昨季限りで戦力外通告を受け、今季からJFL松本山雅に加入。J2昇格へ向けて張り切っていた中でのアクシデントとなった。


 ◆病院搬送までの経過


 ▽9時33分 グラウンド集合、ミーティング


 ▽同42分 ランニング開始


 ▽同57分 ランニング終了。脈拍を測りながらストレッチをしている最中に倒れる


 ▽同58分 トレーナー、看護師による心肺蘇生。意識薄れる


 ▽10時3分 119番通報。心肺蘇生続ける


 ▽同13分 救急車到着。心室細動による心停止。救急隊による心肺蘇生、電気ショック


 ▽同25分 救急車出発。薬剤の投与


 ▽同38分 ドクターカーに乗り換え、引き続き治療


 ▽同50分 救命救急センター到着。心肺停止、意識不明


 


 この時系列を見る限りでは、通報までに時間がかなりかかっています。救急隊到着まで約15分間、AEDがあれば救えた可能性も考えられるだけに、AEDを携帯してなかった「危機管理不足」が否めません。医療関係者で表現する「救命の連鎖」=救命のバトンが残念ながらうまく繋がることができなかった事例とも言えます。


※救命の連鎖=早期通報(119)→早期心肺蘇生(CPR)→早期除細動(AED)→早期病院搬送(救急隊引継)


 


 ◆松田 直樹(まつだ・なおき)1977年(昭52)3月14日生まれ、群馬県出身の34歳。前橋育英高から95年に横浜入り。1年目から主力として活躍し95、03、04年のJリーグ制覇に貢献した。J1通算385試合、17得点。今季からJFL松本山雅に移籍。U-16から各世代の日本代表に選出され、96年アトランタ五輪、00年シドニー五輪、02年W杯日韓大会などに出場。国際Aマッチ通算40試合1得点。右利き。1メートル83、78キロ。血液型A。

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