あなたの知らない名勝負?~山口・岩国高校

  • 仲本
    2018年05月04日 10:46 visibility3168

 

列車で岩国を訪れるほとんどの観光客は岩国駅か新岩国駅からバスやタクシーに乗って錦帯橋に向かうが、実は一番近いのは川西という駅だ。しかし近いとはいえそこから歩くと20分ほどかかるのと、わざわざ本数の少ないローカル線に乗り換える必要があるので観光ではあまり利用されない。私が降りたのには別の理由がある。駅のホームの正面は小高くなっており、坂を上ると5分ほどで岩国高校の正門の前に出る。

 

 

甲子園出場は春7回夏5回。創部100年を超え、白にエンジのユニフォームとくれば古豪を思わせるが、実は平成に入ってからのほうが甲子園に姿を見せる機会が多いのだ。私が初めて見たのは平成5年の選抜に20年ぶりの復活出場を果たしたとき。相手は浜松商だった。守りのチーム同士の対戦のはずが、ふたを開けてみれば大乱戦になった。12-15、両軍合計37安打は当時の大会記録を更新した。離されても食らいつくしぶとさが印象に残った。

 

訪れてみるとグラウンドが広い。野球場1面と陸上のトラック、テニスコートがあってまだ余っている。さすがに人工芝は敷いていないが、これなら運動部も練習のしがいがあるというものだ。学校の外周だと思ってトコトコ歩いていくと野球場のすぐ横まできた。ユニフォーム姿の子がいたので声をかけてみると、この日は練習試合だという。

 

甲子園ではなかなか勝てなかった岩国だが、平成15年の夏についに初勝利を挙げる。続く2回戦の対戦相手は広島・広陵高校だった。広陵は好投手・西村を擁して4季連続の出場で、春の選抜大会では優勝を飾っていた。まして隣県対決となれば知らない相手ではない。広陵サイドから見れば、岩国くみしやすしと思ったのではなかろうか。

 

そもそも岩国打線は夏の地方大会打率が.275とあまり高くなかった。西村対策といっても限られている。全員がバットをひと握り余して持ち、ベース寄りに立って内角を投げにくくする。あとは思い切って振れ、だ。ところがこのシンプルな策がはまった。試合後の談話によればこの日の西村投手は制球がいまひとつ。序盤から外野の間を抜く当たりが出た(以下、試合展開はネット検索で拾ってきたハイライト動画によっている。さすがに細かいところまでは覚えていないので)。

 

中盤6回、岩国は1点差に迫ったが、広陵はすぐさま突き放す。3点を追う7回、岩国は一死2,3塁から打っても4番のエース・大伴。打球はセンターやや左への飛球、タッチアップなら本塁で刺そうと狙ったセンターがこれを落球。なお一死満塁からセンターオーバーの当たりが飛び出した。三人の走者がホームを駆け抜けて8-7、岩国は逆転に成功する。こんなはずでは…、広陵守備陣は動揺が隠せない。

 

この試合、岩国はその後9回までに4点を追加するのだが、点の取り方がなんとも渋い。走者を3塁においての内野ゴロが三度、バックホームがいずれもわずかにそれて都合3点。さらにバッテリーエラーで1点。堅守を誇る大国の城が、わずかなほころびから落とされていくのを見るようだ。12-7で岩国の勝ち。

 

当時の新聞が面白いエピソードを拾っていた。岩国の選手は広陵との対戦が決まると西村の速球対策に145km/hのボールを打つことにした。しかし練習場で借りたピッチングマシンの調整がどうしてもうまくいかず、ボールはスライダー回転していたのだという。「みんなほとんど当たりませんでした」、そりゃそうだ。それに比べりゃ直球なんか、ということだったのかもしれない。春の覇者との乱戦をものにした岩国は3回戦でも2ケタ得点をあげ、ベスト8にまで進んだ。甲子園の山口勢は侮れないのだ。

 

(岩国城に登ってみた。左下が錦帯橋、右上、川の向こうに茶色い帯があるのが岩国高校とグラウンド)

 

 

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