敗戦を受けとめる
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仲本
2020年08月15日 22:26 visibility276
振り返ってみて、ぎりぎりの勝負を挑んだことがまるでない私がいうのはおこがましいにもほどがあるということではあるが。
甲子園では高校野球交流試合が行われている。テレビ観戦してみたが、やはりどこか物足りない。いかに自分が普段の「夏の甲子園」が好きだったか、というのを再認識している。球場を取り巻く歓声の中で、一つずつチームが敗れ去っていく。最後に優勝チームが生まれるが、それはもはや戦う相手がいなくなってしまったから便宜上そうなっているだけなのだ。
今年は交流試合にしても独自大会にしても、勝って終わるチームがたくさんある。今のご時世、試合ができるだけでもましなのは頭ではわかっているが、むしろ勝ってしまったチームのほうが不完全燃焼に終わってしまうのではなかろうか。そんないらぬ心配をしてしまう。ああ、俺たちも一生懸命やってきたけど、このレベルまできたら負けるんだ。そうやって納得しないと次に進めないような気がするのだ。その点、甲子園で負けて終われるチームは幸せである。
結局、どのあたりで負けを認めることができるかが、その人の値打ちを決めるのではないか…、と、テレビの中継を見ながらぼんやりと考える。人生後半に入った者の繰り言である。
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