なぜ日本ではこれほどまでに「プロ」に対して風当たりが冷たいのか。

オリンピックの「精神」よりも、その「商業性」と「利益率」が最大の関心事となっている近代オリンピックに対する批判は多い。

キーワードは清く、正しく、はつらつと、輝く汗を流し、血のションベンを流し、一瞬の栄光をつかみ取ると、見返りは求めることなく美しく散り去る。

なんせ、「アマチュアは生計の手段としてスポーツをしない」という考えがあるため、社会風土としてスポーツ選手達が「お金のために」スポーツをすることを「良し」としない(言い換えるなら、選手達は「清貧」であることを求められるのだ)。

そこで「アマチュア」という言葉の意味を探ってみた。

18世紀のイギリスで初めて使われたアマチュアという言葉はラテン語の「アマーレ(愛する)」という言葉に由来し、『道楽的に文学、芸術、学問などを研究する人』を意味する。つまり『愛好家』ということになる。

また、19世紀になると「賭の対象」としてのスポーツが「プロ」とよばれ、純粋なスポーツを楽しむのが「アマチュア」と呼ばれる時代もあった。

この流れをうけて、クーベルタンが創設した近代オリンピックを『アマチュアスポーツの(スポーツを愛する者の)祭典』とし、「プロ」の参加を禁じることとなる。つまり、オリンピックは賭の対象ではなく、純粋にスポーツを愛する選手達のため大会と定めたのだ。

これをきっかけに、「アマチュア」スポーツが栄えることになる。そして、日本のアマチュアスポーツの原点はここにある。

平たく言えば、すべてのアマチュア・スポーツはオリンピック選手を生み出すためのものであり、『お金を目的とした』プロ(職業)スポーツとは違い「崇高」な存在として君臨するのだ。

だが、1970年代に時代は大きく動く。

オリンピック憲章から『アマチュア』という言葉は消され、『アスリート(競技者)の祭典』となったのだ。この事がその後のオリンピックに大きな影響を及ぼす事となるが、日本に至っては、数年前まで「オリンピックはアマチュアのためのもの」という思想が変わることはなかった。


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