
古文のBGMについて
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tasuku1116
2013年02月27日 03:09 visibility1864
後堀河院御位の時、嘉祿二年九月十一日、例弊に、頭中将宣経朝臣以下、職事ども参りて、出御まつ程、人々鬼の間に集まりゐて、何となき物語しけるに、台盤所には、内侍ども、さらぬ女房たちも候ひけり。渡殿には、貫首にしたがひたる蔵人どもならびゐて、内も外もなく、さまざまの物語いひかはすに、少将の内侍、台盤所の御つぼのかへでの木を見いだして、このかへでにはつもみぢのしたりしこそ失せにけれと言ひたりけるを、頭の中将聞きて、いづれの方にか候ひけむとて梢を見あげければ、人々もみな目をつけて見けるに、蔵人永継とりもあへず、西の枝にこそ候ひけめと申したりけるを、右中将実忠朝臣、御剣の役のために参りて、同じくその所に候ひけるが、このことを感じて、このごろは、これほどのことも心とくうちいづる人はかたきにてあるに、優に候ふものかなとてうちうめきたるに、人々みな入興して、満座感嘆しけり。誠に、とりあへず言ひいづるも、また聞きとがむるも、いと優にぞ侍りける。古今の歌に、
おなじ枝をわきて木の葉の色づくは西こそ秋のはじめなりけれ
と侍るを、おもはえていへりけるなるべし。
に関しての授業をする。
この話は傍線部の古今集の和歌に関する文章。
最後はそこまで行く。
なぜ蔵人の永継は「とリア経ず『西の枝にこそ候ひけめ」と言ったのか?それは「古今集」のこの和歌を踏まえてたからこそである。従ってそれを言われた右中将実忠朝臣は「このことに感じて、『このごろは、これほどのことも心とく(素早く、臨機応変に、当意即妙に)うちいづる人はかたきにてあるに、優に候ふものかな』とうちうめきたる」のである。それは古今集の和歌を実忠が知っていたからであり、且つまた、「人々も入興して、満座感嘆せり」なのである。人々が「満座入興して、感嘆せり」とは、人々も実忠と同じ心境であったと言うことであり、従って実忠の「入興せり」は「感嘆せり」と同義である。
かくかくしかじかな理由でこの古今集は、人々の周知しているところであったのだ。でないと古文は読めない???いやいや、あとに書いてあるから、あとまで読むことのできる粘り強さがあれば、解るはずである。その場では解らなくとも。
ではどこがこの古今集で優れているのか?それは「わきて」が掛詞で用いられているからではない。問題は下の句にある。
『西こそ秋のはじめなりけり』とある。何故西は秋につながるのか?
これは中国の陰陽五行説によるが、夏→南(風)。、冬→北(風)は容易に察することはできよう。
在原業平の和歌に「東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」とある。これは春になったら(季節が冬から春に変われば風向きも変わる。北風から東風に)からであり、春は東から到来するものであると考えられたいたに違いない。よって、かの清少納言も「はるはあけぼの~」と言うのである。春は東からやってくる。恐らく清少納言にもその意識はあったのだろうと想像する。春は東と。
では「秋」は?
三夕の和歌「。寂蓮(じゃくれん)の「さびしさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮れ」、西行の「心なき身にもあはれは知られけりしぎ立つ沢の秋の夕暮れ」、定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ」。を見るまでもなく、この日本という風土に住むわれわれにとって「秋は夕暮れ」なのである。
では夕日はどの方角に落ちるか(つるべ落とし)。勿論、西である。かくかくしかじか、結果「秋→西」なのである。
春→東(だから「東宮」といい「春宮」と言う)
秋に鳴く動物は?
→「鹿」である。
「奥山に紅葉踏み分けなくし鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」勿論恋の歌である。自分が恋しい気持ちを抱くように、鹿を求めて彷徨い、鳴いているのだ。その声が切なく、悲しく、寂しく詠み手の心の痛みを更に強める。「秋」は「紅葉」に、そしえ「夕暮れ」に。この歌は早朝でも、日中でもなく、夕暮れの物寂しい時間に詠まれたうただ。だから「晩秋の、夕方」切なさを表現するには十分ではないか!!!雄が雌を求めて求愛のために鳴くのである。人も恋しい人を求めて逍遥せずにはいられない。動物も、人も同じということ。
春→東、夏→南(風)、秋→西(秋は夕暮れ)、冬→(西・北風)覚えておこう。
話は変わって、
「卯の花のにおほ垣根に、時鳥はやもきなきて、忍び音もらす夏は来ぬ」
そう「時鳥」は夏の鳥なのだ。「卯月」は四月。古文の陰暦で考えれば夏の初旬。そのころになれば、時鳥は鳴き始める。古人にとって、やはり夏は格別だったのかもしれない。薫風香る五月。このころになると「山」だけではなく「里」近くまで時鳥はおりてくる。それを雅だと感じるのが古人である。
清少納言も「時鳥」の声を聞きに行った。行ったは行ったのであるが、聞けずに帰ってきて、中宮定子に「じゃあ歌は詠んだの」って聞かれる箇所が枕草子にある。
彼女はその時、聞けなかったのだ。だから歌もよめなかった。
今な風にして、なんとか「時鳥」の声を聞こうとしてみんな必至になったのだ。今では「電子辞書」で鳴き声は聞こえるが。
「時鳥」に関する歌は数限りなくある。従って、時鳥という獲りに関しては少しは知っておく必要がある。
「雁」について。
「雁」は秋に越冬のためにシベリアから渡ってくる渡り鳥である。そして日本で越冬して春三月、花を見る前にシベリアへ旅立つ。編隊を組んで。
それを古人は、花見もしないで北に帰る鳥よ!!!と「情趣を理解しない鳥よ」と詠うのだ。花見もしないで....................しかしそれは彼らの習性である。冬を越したシベリアに帰るのは、彼らとしては当然のことなのだ。
しかし、人間の目から見れば(審美眼からすれば)情趣を解さない鳥ということになる。従って「春霞立つを見捨ててゆく雁は花なき里に住やならへる」、こういうのもなるか。「春霞かすみていにしかりがねは(=雁)いまぞ鳴くなる秋霧のうへに」(この歌は日本に飛来する雁を詠っている)
ここまで書いてきたが、これらは古文で言う「背景」である。しかし、この背景を知らずして古文は読めない。
映画で言えば、白い壁で登場人物達が演技をしているようなもの。BGMのない映画。これっていかんでしょ!!!
かくかくしかじか、古文でも、古文単語を覚えれば(単語帳では覚えられないけど)いいということではない。文法を、助動詞を、敬語を、覚えればそれで終わりという世界じゃない。
世界を見渡すには、このような「背景・BGM」は不可欠な要因だ。
その点を心して古文を読んで頂きたい。
「月」にちついてはまた後日として。疲れ気味............何故か二時に起きたので、打ってみました。
昨日は会議で遅くなりお散歩、ランニングはできず。雨もふってたしね。
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- 事務局に通報しました。
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