円環的連鎖

この一年で想ったこと。

今の「いまを」生きている「現実」が大切だということ。

人は「現実」を生きてゆくと同時に、知らず知らずのうちに自分自身の「過去」を背負って生きているということ。

自分自身のものではない「他者の過去」も背負っている現実があるということ。

そこからは「逃れられない」ということ。そことは「われわれの過去」という場所。それを「伝統」と言い、「文化」と言う。時には。

知らず知らずのうちに誰しもが「われわれの過去」を背負わされているということ。

「自分だけはちがう」という感覚に対して「それはちがう」と言えるということ。

「自分で背負えるだけのもの(苦しみ)しか神はその人に背負わせはしない」ということに対して、それは違うと言えるということ。

われわれは時に自分で背負いきれないものも背負うことがあるということ。

その背負ったものを背負いきれるかどうかで、その「ひと」の生き方が変わるということ。

「背負うことの覚悟があるか」ということ。

「われわれ」が、何かに「属する」類的存在であるのなら、その「何か」によって「われわれ」は規定されているということ。

その場所から逃れる術はない、それを背負うしかないという「現実」があるということ。

それを背負うしかない、ではなく、それを「背負う覚悟があるか」ということ。

全てを背負い、引きづりながら生きてゆくことが「今を生きている」という意味。

全ては円環的に連鎖しているということ。直線的にではなく。

直線には終わりはあるが、円環的連鎖には終わりはないということ。

一年は円環的連鎖だということ。

パスはいつかは戻ってくるということ。

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