サッカーを始めたのはカズを観たからじゃない

タレメーノ・ユナイテッドの代表である私タレメーノ・カクは、小学3年生の秋に地元の弱小サッカー少年団に入った。それは、Jリーグが始まった年であった。

 

学校は連日盛り上がっていた。

週末の試合の結果を話してみたり、スター選手が出演するテレビCMの真似事をしてみたり。
Jクラブのマスコットがあしらわれたキャップ、トレーニングシューズ、Tシャツなどを誰かしらが身につけている。地元Jクラブがあるというのに、紫ではなく、青やら緑やらだ。
この節操のなさには子供ながら驚き、赤いヘルメットを被ってボールをバットで叩いて飛ばすという競技はそのうちこの世界から消えてなくなると、皆の和に入れない私は思った。

そして、それ以上に思った。このままでは私が消えてしまうと。


やかましい一日が終われば、クラスの皆は散り散り用のある方へと向かってゆく。

空手、習字、公文、ソフトボール、サッカー、そろばん、学習塾等、忙しそうにしているのだ。
こちらはといえば、私と仲の良かった私よりも遥かに暗い友人とでふたり、用もなくただ

家へと帰る。宿題もせず。なんとなく漫画を読み。夕飯の時間になれば食べ、寝る。
友人は皆を嘲笑していた。「あいつらは親の言いなり」。
そんなふうに私は思っていなかった。親の云々だとしても、やることがあって良いなと思い、自分がなにかこう廃人のような気にさえさせられ、家に帰ってテレビをつけてもJリーグの話をやっているものだから、鬱陶しかった。一方で、見慣れた野球中継は面白くはなかったが心落ち着いた。どっちが勝っても負けても関係なかった。

 

無為な日々を過ごした夏休みが終わるころ、父がパチンコの景品でヴェルディ川崎のユニホームをもらってきたらしく、大人サイズのそれを私に寄越した。背番号のプリントがないものだった。が、イメージはひとつ。「カズだ……」と私なりに興奮した。ツルツルの素材。絶妙なデザイン。あの緑色。英語でクラブ名がただ書かれただけのTシャツなんかにはない、絶対的な存在感があった。他のどのクラブのユニホームよりもカッコよく思えた。これがあればクラスの声の大きい連中を一瞬で蹴散らせることができるのではと想像したもの束の間、こんなどでかいユニホームをサッカーもしていないやつが、なぜ学校に来てくる? 自問自答は永遠に終わらなかった。

 

家では持て余した緑のそれを尻目に、毎日のようにカズをテレビで見かける。
スポーツに興味のない母も「なんでこの人、ゴール決めたら仲間から逃げて最終的に股間を抑えるん?」と私に聞いてきた。こっちが知りたい。


私はそれを本当に知りたくなった。


でもそれは、廃人への坂道を転がってゆく(拡大解釈)自分をなんとかしたいとの思いが根底にあってのことで、つまりは、やりたいこともないのだから何かをやるには理由が必要で、それが例えばサッカーならそういった理由で始めてもいいのではないかと結論がぼんやり出た。

とはいえ、私は運動音痴であった。泳げない。縄跳びも二重とびができない。足が遅い。走るのが嫌い。かの友人に話せば、「俺も」という。

「じゃあ一緒にサッカー入ってみる?」と私は聞いた。
「いいよ」とのまさかの返答に私はたじろいで、どこかであっさり断って欲しくて聞いたのに、それで俺もやっぱりやめようと思う予定でいたのに。

 

友人は数ヶ月で退団した。

私は入団から2年後、走るのがイヤという理由でゴールキーパーを志願し専門職としてプレーした。

 

ゴールを許してしまう立場になっても、カズが股間を抑える理由はわからなかった。


私がサッカーを始めた理由はカズを観たからではない。

 

「カズに憧れて」といえば、どんなに楽だろう。どんなにわかりやすいだろう。

しかし、カズさんがいなければ私はサッカーをしていなかっただろうなと思えてしまう。

タレメーノ・ユナイテッドのユニホームは赤にする予定だが、GKユニホームは緑にした。

 

 

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