
同志社大学新入生歓迎講演会③ ~講演者:宮本慎也さん~
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ジョン
2014年04月18日 02:42 visibility724
①はこちら→http://labola.jp/diary/333795011
②はこちら→http://labola.jp/diary/334655083
遅くなりました、申し訳ありません。
暇だ暇だ言っておきながら、結構まとめるのが難しいことから敬遠してました。
今村は今季初勝利、おめでとうございます。昨日の笠原のセーブといい、若手が巨人を救ったと言っても過言ではないでしょう。それにしてもバレンティンのスイングは回転軸のしっかりした、見事なものでした。しっかり待たれて、あのスイングをされると、いくらカーブが遅くてもスタンドまで持って行かれますね。
さて、本題いきましょう。
PL時代の話ですね。PLでは「1年:奴隷、2年:人間、3年:神様」とされていることは、皆さんもよくご存知でしょう。これを軸に話を展開されました。
1年生の時が一番印象深かったそうで、自身が2年、3年となった際の話はされていませんでした。奴隷は人間様や神様に対して迷惑をかけてはいけないということで、朝の起床(6時)では目覚ましを鳴らしてはいけなくて、
「目覚ましはかけても、鳴る寸前のカチッと鳴る音で止める」
と起床時のことを表現されていました。快眠したことはおそらく1度もなかったのでしょう、基本的には授業中に睡眠を摂っていたそうです。
食事の際は、
・マヨネーズは高級調味料だから、3年生のみ使用可
・1年生は、卵を焼かせてもらえない。(常に生卵、よって毎日卵かけご飯)
・1年生はカレーをスプーンで食べず、箸で食べる(そのくせに早く食べろと急かされる)
という掟があり、この掟のせいで、元日ハム、阪神と渡ったPL-同大の先輩にあたる片岡篤史氏は今でも1年生時代を思い出すため、卵かけご飯を食べるのが怖いとか。
このように、下級生は常に上級生の影で目立たないように生活する必要があり、常に「目配り、気配り」を大切にしていたということでした。
宮本氏は自分のことを気配りができる方だと言っていましたが、それでも立浪氏には及ばないと先輩を立てていました。あまり口にはしにくいであろう清武さんのことを「良い人か悪い人かと言ったら、少し悪い人です」と言ってたことを考えると、立浪氏に及ばないということも本当かもしれません。
その、宮本氏が及ばない気配りについてのエピソードとして、
ep1:ゴルフでラウンドを一緒にした時のこと。同じ組で回っていた先輩がバンカーに入れてしまった際には、先にバンカーまで行き、トンボを持って打つのを待っていた。
ep2:ホットドッグを食べる機会があり、立浪氏が買ってきてケチャップをかける時、容器から最初に出てくる透明の液体をナプキンの上に出しきってからホットドッグにかけ、手渡す。
という2つのものを出されていました。この2つ目のエピソードの現場に立ち会ってから、「この人には及ばない」と思ったそうです。
これでこの回は最後の話題になります。
PL学園は甲子園に出場するだけでなく、甲子園で優勝することを目標とする高校であることは皆さんご存知でしょうし、宮本氏が入学する前にはPL学園といえばKKコンビが日本中を沸かせていたこともあり、その風潮はとても強かったみたいです。
更には宮本氏が2年生の時の第69回全国高校野球選手権大会で優勝していたこともあったのですが、その翌年の第70回大会で3年生になった宮本氏を擁するPL学園は県予選の3回戦で敗れてしまいます。
PL学園は当時の最高の設備を整えていたそうですが、その中で敗れたことが校長を怒らせたのか(これは宮本氏の独自の解釈)、敗れた後に登校し、たまたま校長に会い、挨拶をしたところ、挨拶には返事をしてくれなかったそうです。
その時は腹が立ったそうですが、後々にそのことが「常勝軍団であり続けるべきPL学園が敗れたという事実の惨めさ」というものを一身に背負うキッカケとなった、と仰っていました。
次が同大の話で、完結となります。拙い文章ですみません。
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- 事務局に通報しました。
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