これまでの歩みを振り返る【奈良クラブ】

こんにちわ!

 

田代主水です!

 

今回もこれまでの歩みを振り返るシリーズです。

 

それではどーぞ!

 

【奈良クラブ】

 

アルテ高崎が経営難で解散になった後、アルテ高崎で1年間一緒にプレーした後に奈良クラブへ移籍した先輩に電話した。

 

色々相談していると

 

『奈良クラブのテスト来たらええやん』

 

と言われテストに参加する事に決めた。

 

1日目のテストは雪の中行われ、2日目のテストの休憩中に当時GMだった矢部次郎さんに呼ばれ

 

『そのテンションで1年間やれる?』

 

と聞かれて

 

『やれます!』

 

と即答した。

 

テストが終わって昼食を食べている時に矢部さんから電話を頂いて、正式にチームに入る事になった。

 

相談していた先輩は前年度で引退してしまったので一緒にプレーする事は出来なかったけど、新しい仲間達と共に素晴らしい2年間を過ごす事が出来た。

 

リーグ戦、カップ戦、天皇杯、国体。

 

スタメン、途中出場、ベンチ、メンバー外。

 

シーズン途中の監督交代。

 

常に出続ける事は出来なかったけど色々と経験させて貰った事で、全てにおいて成長する事が出来た。

 

チームはJFL昇格を目指して戦ったけど、関西リーグで優勝する事は出来ず、地域決勝大会にも出場出来なかった。

 

奈良クラブでも朝練習をしてから午後は地域のサッカースクールやチームスポンサーの飲食店で働かせてもらった。

 

2年目からは奈良クラブのスクールとジュニアユースのコーチもやらせて頂いて、とても良い経験をさせてもらった。

 

2年目の終わりに来シーズンの事について矢部さんと面談をした際に言われたのは、プレーには満足して無いけど、スクールやジュニアユースでのコーチとして評価しているという事だった。

 

『チカラはどうしたい?』

 

と聞かれたので

 

『辞めます』

 

と即答した。

 

選手として評価されていない以上、ここには居れないと思った。

 

移籍先を求めて新しいチームのテストに行った際に膝の内側側副靱帯を負傷。

 

矢部さんに頭を下げて奈良クラブで練習生としてリハビリをさせて貰った。

 

ある程度プレー出来る状態になって、1週間練習参加させて貰ったけど、チームに戻る事は出来なかった。

 

その後、奈良クラブで一緒にプレーした先輩から連絡をもらい、関西リーグ開幕前にバンディオンセ加古川へ移籍した。

 

 

 

簡単にですが、奈良クラブでの2年間+αを振り返ってみました。

 

その当時は努力してるつもりだったけど、今考えれば全然足らなかった。

 

評価されなくて当然の選手だった。

 

今そうやって振り返れる事が成長してる証拠。

 

悔しい事の方が多かったけど、最高に楽しい2年間でした!

 

次回はバンディオンセ加古川〜京都紫光クラブを振り返ろうと思います!

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

chicalita

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