エルクラノ殺害事件から10年

  • viva
    2007年10月07日 06:15 visibility4208
サンパウロの日本人移住地でも移住地に時々現れたブラジル人の痴漢..定かではないがとにかく誰でもいいと言うことであるブラジル人をボコボコにした..もちろん報復は日本人移住地で働いていたブラジル人のカマラーダにまで及んだ..サンパウロのリベルダーヂにいた当時..若者の日系グループが韓国人グループの一人を殺害してしまった..差別からの殺人かは何ともいえない..若者の達の抗争事件か..日本人同士でも最近では相撲界でも..何でもかんでも人種差別を唱えるのはどうか..どこの国でも自国民でないものは多かれ少なかれ差別は感じる..中南米では上流階級の下層階級に対する差別もひどいものがある..世界中の移民で成り立っているブラジルでも人前では言わないが個人的に聞くと人種差別はこの国では当たり前だと言う意見が多かったことも確か..
日本ではブラジル人と日本人の間の溝は最近ますます深まってきていると感じる...口では共生と言う事を唱えているがブラジル人も日本人もそんなことは無理なのだとお互いに感じてきているからこそブラジル人コミュニティーが出来上がってしまった。。これはある意味日本人との決別でもある..ますますブラジルへの愛国心が高まり日本人や日本人批判と言うことが日常鬱憤のはけ口にされている..出稼ぎと言う今まで日本と関係もない日本にも関心のない人達が大量に入り込む.海外で暮らしたいと思った人なら一度はその国を訪れその国に惚れ込んだと言うくらい気持ちがないと普通では海外では暮らせないだろう..残念ながら今の出稼ぎのブラジル人達はほとんど日本への思い入れはないと言うのが現状だろう..
「お前ら、何で日本にいるんだ」
「さっさとブラジルに帰れ!」
1997年10月。愛知県の小牧市で、日系ブラジル人の少年が20数名から集団リンチを受け、死亡するという事件がおきた。西野瑠美子による本書は、その事件を追ったルポルタージュだ。事件の原因となったのは、ある不良「ガイジン」グループの素行の悪さだった。このグループにゴルフクラブなどで車を叩かれた日本人少年たちが、後日報復を行なうために仲間を集め、小牧駅前に憩いを求めて日夜集っていた日系ブラジル人少年たちを襲撃する。素行不良のグループとは関係のなかった彼らだが、その中から当時14歳のエルクラノ君が拉致されて、公園で木刀やバタフライナイフを使った集団暴行をあびせられ、死へと至らしめられた。冒頭の言葉は、襲撃やリンチの際だけでなく、事件をアピールするためにさまざまな行動をとったエルクラノの両親への嫌がらせ電話によっても発せられたものだという。
この本では事件の経緯はもちろんのこと、その後の裁判の経過や、両親の姿、エルクラノの一家が日本に出てきた背景、教育を中心とする在日外国人たちの抱える問題点などがきちんとフォローされる。事件をエキセントリックに扱うのではなく、その背景に人種差別はなかったか、更には加害側の少年たちも能力主義や選別主義の教育、日本社会の閉塞的ナショナリズムによって追いつめられていたことが暴力の発露の一因となったのではないか、というところまで問い詰めていく西野氏の真摯な仕事ぶりには、本当に頭の下がる思いだ。
それにしても、集団による歯止めの利かない暴力とともに、私が真にゾッとするのは、日系ブラジル人の少年たちが駅で襲撃を受けた際、駅員に助けを求めたにもかかわらず、止めに入ることはおろか通報すらしてもらえなかったという点。ブラジル大使館が動き出すまで本格捜査を始めなかった警察も含め、こうしたあからさまな無視・無関心が先の罵倒の言葉と結びつくとき、レイシズムやゼノフォビアが顕在化するのだろう。その最も凄惨な現われが暴力にほかならない。だとすればこれは、集団リンチ殺人をおこした少年たちを非難すれば済むことではなく、私たちの周りにも目に見えず広がってくる問題であると思うのだ。
ブラジルの文化や音楽に関心がある者であれば、この身近なブラジル人の死に無関心ではいられないはず。せめて、エルクラノという少年に何があったのかを記憶に留めることだけでも、ささやかだが必要な身振りに違いない。

ウベルランディア市に住むエルクラノの母の手紙から..
子供達に、節度と道義を教えて、躾けることで、人格形成に貢献すると、常に考えていました。しかし、若いのにしっかりした、将来有望な青年の命を奪い、その家族の夢を壊した思いがけない悲劇の後、社会の向上に努める必要を感じました。自分達の子供の世話をするだけでは十分ではありません。世の中には、世話をしてもらえない若者がたくさんいます。生きることの意義が変わりました。想像を絶する残虐行為を防ぐための措置をとらなくてはいけません。 数年が経ちましたが、私達にとって昨日のことのようです。私達には、何も変わっていません。愛しい息子を誇りに思い、楽しかった頃のことを思い出しております。存在感とカリスマ性のある青年でした。若くして逝ってしまいましたが、精神的にも人格的にも大人でした。残された私達両親だけでなく、皆も偉大な人物を亡くしてしまいました。 この様なことがけっして繰り返されないように、異文化理解に努めたいと思っています。暴行事件が現代社会の病であって、世界各地で問題になっていることは分かっています。しかし、希望と信念を持つ人間として、これを黙って受け入れて、犯罪が日常茶飯事になってしまうのを、ただ眺めている訳にはいきません。黙認すれば、社会を傍観する病んだ残酷な者になってしまいます。理性に恵まれたのは、破壊するためですか。それとも、創造し、進歩し、生命を守るためでしょうか。この望みは、若くして逝ってしまった青年が平和な世界を夢見ていたことから生まれました。この様な考えは偉大な魂、そして貴重な生命からしか生じません。 文化的な違いと民族的な違いを乗り越えるための、会話の場を設けるのが、私たちの目標です。文化の違いがどんなに心を豊かにしてくれるかを知っていただき、誰にも大きな潜在能力があることを皆にも信じていただきたいです。 息子のエルクラーノは、人の心の中で善が悪に勝つと信じていました。息子の無邪気さを思い出すと、胸が痛みます。特に日本は安全だと、息子も私達も思っていました。 ですから、暴力、人種差別、教育、両親が子供の成育を分かち合い、参加することの問題点を指摘する義務を感じております。 息子がもう二度と帰ってこないことは分かっておりますが、毎日メディアを通じて、人々の感覚を麻痺させている暴行を、黙って見ている訳には行きません。 エルクラーノを亡くしたことの痛みを毎日感じております。どの人種もお互いに尊重し合い、お互いの間の壁を取り払い、一つになって、愛を感じてほしいです。愛は全ての人の心の中にあるはずです。人の命を乱暴に奪った者は、この感情が死んでしまっているのかもしれません。 私達が日本で暮らす間、息子と同居していた叔母のレニセによると、ブラジルでは暴行事件が多くなり、エルクラーノもベレー帽を盗まれたことがありましたが、日本ではそういうことがないと聞いて、日本は安全だと信じていたそうです。それで、日本に住みたいと言い出したのです。 しかし、息子は人種差別の被害者になるとは思いませんでした。人に悪意を感じなかった外国の青年は、夢も、成長の目標も奪われてしまいました。  地球というこの惑星に住む全ての人に、差別という病に立ち向かうよう、呼びかけたいと思います。子供達をどのように育て、躾けているのかに気づき、子供達が自分の人種が他より勝っていると信じる怪物になって、たくさんのエルクラーノたちの命を奪うのを防ぎましょう。 エルクラーノの従妹のレチシアの手を借りて、この文末を書きました。彼女はエルクラーノと同い年で、現在は法学を学んでいますが、大学へ進学し、不公平な世の中がもっとよくなり、全ての民族が、全ての人種が手をつないで、文化の差を越えるために役立ちたいという夢をエルクラーノと分かち合っていました。

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