服部と明神がいると相手のチャンスはない

こういう風に、後世に伝えてくれながら、今の時代で我々が支えるべき代表を応援する文章を書いてくれる人がいるんですね。


 


題名で引くのは見るけど、知らなきゃみないか。


 


読んでいただきたいし、服部みたいな選手が出てきてほしい。


 


では。


 


http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00120691.html


 




【J2日記】鳥取:アトランタ戦士から、ロンドン世代へのエール(11.06.18)


 


国内Jリーグ序盤の連戦時期を迎えている6月19日、2012年ロンドン・オリンピックを目指すU-22代表の戦いが始まる。最初のラウンドは、クウェートとのホーム・アンド・アウェイ。ここを突破し、さらに次のラウンドも勝ち抜けば、5大会連続の出場となる。

この連続出場のスタートを切ったのが、15年前の1996年アトランタ大会だった。同年3月の最終予選は、全8カ国がマレーシアに集まっての集中開催。日本サッカー界の期待を一身に背負ったチームは、グループステージを突破し、アトランタ行きを懸けた準決勝でサウジアラビアと対戦した。西野朗監督(現G大阪監督)が「誰が見たってアジア最強」と認める強敵に勝つのは至難の業と思われたが、すでに各Jクラブの主力として活躍していた選手たちは、肉体的にも精神的にもたくましく戦い、2-1で勝利。銅メダルを獲得した68年メキシコ大会以来、28年ぶりの五輪出場を果たした。

この試合に左アウトサイドで出場していたのが、鳥取の中盤の要・服部年宏。本大会ではボランチとして高い守備能力を遺憾なく発揮し、『マイアミの奇跡』として語り継がれるブラジル戦勝利にも大きく貢献した。その後、98年フランス、2002年日韓と、2度のワールドカップでメンバー入り。直前の負傷でかなわなかったが、00年シドニー・オリンピックの際もフィリップ・トルシエ監督に高く評価され、23歳以上のオーバーエイジ枠の1人として出場するはずだった。37歳となった今も現役で活躍する服部にとって、若き日のオリンピック出場が、その後への大きなステップとなったことは間違いない。
「長期間、同じ国にいて、試合の連続。メンタル的にきつかった」と振り返る。当時の日本はワールドカップに出たことがなく、長い『冬の時代』から完全には抜け出せていなかった。「ヒデ(中田英寿)たちは95年にワールドユースに出ていたけど、自分たちは、世界がどんなものなのか、オリンピックに出ることにどんな意味があるのか、よく分かっていなかった」。“決戦”となったサウジアラビア戦は、「あそこで負けても、3位決定戦に勝てば出場できたけど、『ここで負けたら厳しいぞ』と話していた。しびれたね」という。

「クウェート戦は大変だと思うけど、その後はホーム・アンド・アウェイになるから、ケガ人が出てもメンバーの入れ替えができるし、リフレッシュもできると思う。もうちょっとクローズアップしてもらってもいいのにね」。以前よりも注目度が低くなっている後輩たちを気遣いつつ、「あの年代でフル代表に入る選手も増えてきたから、クローズアップしなくてもいい時代になった、ということかな」と、この15年間の日本サッカー界の変化を実感してもいる。

ロンドン・オリンピック予選の初戦は、6月19日19時キックオフ。そのとき鳥取は、ホームで湘南戦を戦っている。ライブでは見ることができない後輩たちへ、自らの豊富な経験を踏まえてエールを送った。
「どんな大会でも、世界の舞台には絶対に出た方がいい。何か得るものがあるはずだから」

以上

2011.06.18 Reported by 石倉利英

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