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大変恐縮ですが、読んでみてください。


 


軽くでもよいので。


 


★元巨人、近鉄→建設専門工事会社スチールエンジ社長・松谷竜二郎さん(46)

 デビュー3年目の1991年、初先発で野村ID野球を封じ、2試合連続完投勝利を挙げたことからヤクルトキラーと呼ばれた。荒々しい投球が持ち味で中継ぎとしても活躍した。現在は都内の建設工事会社で社長として豪腕を振るっている。床版の専門工事では業界トップ。野球も企業も基本は“人創り”だという。(聞き手・米沢秀明)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/npb/517232/slideshow/421897/">【フォト】巨人時代、ヤクルトキラーとして活躍した松谷さん

 【野球より社長が難しい】

 代表となって7年になります。おかげさまで今年は年商40数億円といったところ。80億円あった昨年には及びませんが、景気を考えれば堅調に事業展開しています。

 事業の柱は、大手ゼネコンから請け負う建築物の床版の専門工事です。鉄骨を組んだ直後のビルに床はないわけですが、これに床のベースとなる材料を組んで、生コンを流す直前までの工事を行うのです。

 東京・丸の内のパレスホテル、大阪駅前のヨドバシカメラなどの工事も請け負いました。500万円ぐらいから3億円ぐらいまで、年間の工事数は600件ぐらいになります。

 引退後、藤田元司さん(元巨人監督)の紹介で同種の建設会社に入社しましたが、1年ほどで経営が傾いてしまいました。その後、現在の会社の前身会社に拾ってもらいました。床版の専門工事部門が独立して「スチールエンジ」となり、3年間営業を務めたあと代表になりました。

 仕事は代表となった現在が一番忙しいし、大変です。現場の管理、パトロール、営業、経営と多岐にわたっていますから。野球選手とどちらが、といわれたら、やはり今の方が大変です。野球は基本的に自分を追求していけばいい。しかし会社経営となるとそうはいかない。社員50人、職人50人、協力業者がいてその家族がいる。結構な人数の生活を預かっていますから。

 【作業現場は野球と同じ】

 一番若い職人は15-16歳です。最初、この業界に入ったときは彼らにオマエ呼ばわりされるところから始まりました。職人も35歳ぐらいになってくると作業はきつくなってきますから、管理の方に配置転換をしたりします。これはまさに野球の世界と同じなんです。

 リスクを分散する意味でも営業所も全国に展開していかなければいけません。東京、大阪、名古屋、仙台、福岡と広がっています。福岡営業所は5年前につくったのですが、やはり最初は新参者が入っていくとアレルギー反応があるわけです。

 同業者や関係者の皆さんの人柄を勉強するところからはじまって、いろんな方たちと知り合って、付き合いが生まれました。王(貞治ソフトバンク会長)さんにも大変お世話になりました。「この人が経営者になったらすごいだろうなあ」と思わせる人ですね。

 自分が引退後、会社務めを選んだのは、やはり社会人野球を経験したスピリットがあるからだと思います。もし、高校から直接プロに行っていたら、現在の金銭感覚や、精神構造はなかったでしょう。軍隊のような巨人での生活も基礎になっています。

 当時はとにかく一流選手揃いの巨人でしたから、1シーズン通しても2軍との選手の入れ替えが2人しかなかったということもありました。どんなに下で良い成績でも簡単に上がれないわけです。自分は2軍でノーヒットノーランを2回やって、上げてもらえました。「さすがにこれくらいやれば上げてもらえるんだな」と思ったほどです。

 【人材なくして企業なし】

 経営理念は人が人を育てる人間企業です。人を楽しませるのも悲しませるのも人です。すべて人とのかかわりです。しっかりした人をつくれば会社はよくなります。朝8時50分には朝礼、かしわ手を打ち、スピーチもしてもらいますね。性格的にゴルフコンペから花見までつい口を出してしまうんです。最近はできるだけ任せるようにしていますが。

 野球をやめるときには、どうせやるなら社長になれるように頑張ろうと思いました。今は野球に区切りをつけて、違う世界に飛び出したのはよかったと思います。野球の世界は小さいですから。

 巨人で6年プレーしたあと、近鉄へ移籍となったのは、野茂英雄がメジャーへ行き、阪神大震災が起きた1995年のシーズン前でした。近鉄では3年目に肩を故障。その年の夏ぐらいには、翌年の戦力構想から外れているのがわかりました。

 末次利光さん(元巨人)に相談したら、台湾球界のテストを受けられるというので、2週間入院して肩を治して挑戦したのですが、球威は戻りませんでした。2月になって引退を決意しました。

 サラリーマンになって成功しようと思ったら、野球のことはどこかへ置いてきた方がいいでしょう。プライドが邪魔になることも多いからです。近鉄でゴミ扱いされた経験は無駄ではなかったと思います。

 誰でも引退するときが来ます。選手たちの受け皿企業がつくれたら素晴らしいですね。会社経営はまだ始まったばかり。これからもっと頑張っていきますよ。

 ■まつたに・りゅうじろう 1964年7月10日、大阪市旭区出身。大阪市立高から大阪ガスを経て89年巨人にドラフト2位入団。同年のイースタン大洋戦で無安打無得点試合を達成し、リリーフで1軍デビューした。91年5月のヤクルト戦で初先発し、プロ初完投勝利を記録。6月にもヤクルトから完封勝利を挙げた。92年イースタン大洋戦で再び無安打無得点試合を達成。95年近鉄に移籍し97年引退。現役通算7年、59試合、4勝4敗1S。現在はスチールエンジ株式会社(東京都中央区日本橋馬喰町1の5の6)の代表取締役社長

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