惜別!去り行く虎戦士を振り返る�
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そらまめ
2008年01月12日 17:17 visibility69
年が改まり、新しい選手達も加わり、プロ野球選手達もそれぞれ自主トレを始めるなど、新たなシーズンに向けて動き出している。
春季キャンプも、もうまもなくであり、開幕が待ち遠しい。
そんな中で、2007年を持って、トレードや現役引退、戦力外対象等となり球団をチームを去る選手がいること。
その事実を忘れてはならない。
しかし、これも、選手の体力の限界、そして常に優勝を目標に戦うチームにとっての活性化のために致し方の無いことなのだ。
1軍の晴れやかな舞台で活躍できた選手はまだしも、夢をもって入団したが、花を咲かすこと無く去っていく選手もいる。
そういった彼らのこれからに、幸あることを願いたいものである。
我らのタイガースも、今現在で14名の選手が縦縞のユニフォームを脱ぎ、虎戦士から外れることになった。
交換トレードで移籍する、濱中治外野手(オリックス移籍)吉野誠投手(オリックス移籍)中村泰広投手(日本ハム移籍)。
FA補償で移籍する赤松真人外野手(広島移籍)。
現役を引退する、中村豊外野手、アンディー・シーツ内野手、三東洋投手。
戦力外となった、上坂太一郎内野手、エステバン・ジャン投手、相木崇投手、田村領平投手(ロッテ育成へ)、ダーウィン投手、水落暢明投手(球団職員へ)、大橋雅法捕手。
皆さん本当にお疲れ様。
夢と希望を与えてくれてありがとう。心から感謝したいと思います。
何回かのシリーズにわけて、これら去り行く虎戦士を振り返ってみたいと思います。
まずは、自由契約になった相木崇投手と日本ハムに移籍する中村泰広投手だ。
相木崇投手(自由契約)
熊本市商から福岡大学をへて2000年のドラフトでオリックス・ブルーウェーブに4位で指名されプロ入り。
2002年7月21日、福岡ダイエー戦の先発投手としてプロ初登板。
7月28日の大阪近鉄戦でプロ初勝利を完封で飾った。
さらに8月5日の千葉ロッテ戦で2試合連続の完封。
2005年11月、前川勝彦投手との交換で阪神タイガースへ移籍・入団した。
サイドスローをアンダーにするとかいろんなプランも与えられ、中継ぎ投手としての活躍が期待されたが、なかなか1軍に定着できなかった。
性格は明るく、鳴尾浜では若い選手たちをいつも引っ張っていた。
厳しいトレーニングの中でも、相木選手の周りにはいつも笑顔と笑いが渦巻いていた。
2007年10月27日に戦力外通告を受けた。
まだまだ貴重なサイドハンドとして使えそうな気がしないでもない。
しかし、トライアウトに参加するも採用の声は掛からず。
相木自身は現役続行をまだまだ考えており、2008年からは社会人野球の松下電器でプレーしながら再起の道を探ることになっている。
がんばって欲しい。
中村泰広投手(日本ハム移籍)
郡山高校から慶応義塾大学、日本IBM野洲を経て2002年にドラフト4順目で阪神タイガースに入団した。
中学生時代は関本賢太郎選手と同級生だったという。
初登板は、2003年4月5日のヤクルト戦。
ようやく初勝利をあげたのは、2006年7月12日の広島戦で、得意のスライダーを軸に投げ、プロ初先発で飾った。
2006年9月30日のファーム日本選手権でも4安打完封勝利で最優秀選手賞を受賞。
しかし、なかなか1軍に定着できず、2007年シーズンは、井川慶の穴を埋める投手として期待されたが、2軍ではウエスタン・リーグ最優秀防御率1.80など好成績をあげたものの、1軍では15試合に登板に留まり、2勝2敗と目立った活躍ができなかった。
シーズン終了後の11月早々、金村曉とのトレードで北海道日本ハムファイターズへ移籍することとなった。
切れの良い高速スライダーとストレートが武器の投手だった。
しかしコントロールが悪く、精神力の弱さも伴い、緊迫した場面や大観衆の中ではひどくなる傾向がある投手だった。
日本ハムはまたタイガースとも雰囲気が違い、しかしながらかつて阪神に所属していた金澤、坪井などの関係者も多い。
新天地で、花を咲かせるような活躍を期待したい。
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- 事務局に通報しました。
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