佐藤勇人のドラマ その2
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リオネル
2008年09月12日 19:58 visibility1053
佐藤勇人のドラマ。。。
皆さんそれぞれに色んな勇人との思い出があるようで
愛されていた選手なんだな〜って改めて感じてます。。。。
ジェフサポさんをはじめ勇人ファンの方には
まだ紫ユニの勇人に違和感ありありかも知れませんが
京都の勇人として彼の生き様が浸透しつつあるように思います。
では、その2です。。オシムさんとのことが語られてます。。。。
オシム監督との出会い
'03イビチャ・オシム氏がジェフの監督に就任する。
勇人、入団4年目のことである。
「練習も会話のパスも、毎日が驚きの連続で。質問に対しては予想もしない言葉が返ってくるし、驚くことばかりでした。ものすごくハードな練習だったので、最初は、『このままでは1年通して体がもたない』って選手同士で話していたし、正直、『こんなハードな練習にはついていけない』って言ってた選手もいました。
1年目は、“走る”ことを第1に考えた練習メニューで、2年目になると、“考える”ことが1年のテーマでしたね。 監督は、『日本人は、自分で考えようとしない。こうしろって言われるとその通りにしてしまうのが悪い癖だ』ってよく言ってました。
ヨーロッパの人だったら、『こうしたい』っていう、自分の考えやアイデアを持っている。『簡単に答えを出さずに、まず自分たちで考えよう』というトレーニングもあって、考えて自分が出した答えで、監督とぶつかって言い合うこともありました」
勇人は、オシム監督の言葉によって、自分自身のことを考えさせられた。
「まず、なぜ自分たちがサッカーをやっているのか・・・。なぜプロとしてやっているのか・・・。『おまえたちはプロになっただけで満足か?』と問われました。
『おまえらは、いい車に乗り、いい家を建て、いい生活を送れれば、それで満足か?
そうじゃないだろ?』って。確かにその通りだなって思った・・・」
オシム監督の言葉は、勇人の心に響いた。
そして、気づいた。
「世界には恵まれない多くの人がいる中で、プロになり、いい給料もらい、そこで満足していたら、成長はない」と。
「人間として、野心を捨てたら終わりだなって、今は思います」
勇人は、サッカーをやるとき、そして、プライベートでも、常に、野心を持って、何事にも取り組むようになった。オシム監督に出会い、プロとしての意識を注入されていったのである。
「やるからには、すべてのことを、サッカーのためにリスクを冒してやれ。人間として成長できるように、野心を持ってやれ」。オシム監督が言ったその言葉は、勇人の心の中にいつもある。
レギュラーを掴む
'03年オシム監督に見いだされ、レギュラーに定着をする勇人。そして、'06年には、オシム監督が指揮を執る日本代表に選出されるまでに成長を果たすのである。
「監督が来た年の最初のキャンプでは、途中から出る程度のサブの位置にいて、開幕もベンチにいたんです。でも、黙々とトレーニングしていたのを監督は見てくれていた。開幕1試合、2試合とチームの状態があまり良くなくて、3試合目にレギュラーに起用されたんです」
オシム監督は、先発メンバーを試合会場に着いてから発表するという。
「前日にも言わないし、試合前のミーティングでも言わない。だから、会場に着いて、メンバー表を見て初めて、『自分は、今日スタメンなんだ』って知る。正直3試合目も、自分はベンチスタートの気持ちで行っていたので、ちょっと驚きでした。求められたことは、走れっていうことでしたね。自分と羽生(現FC東京)がスタメンに抜擢されて、ガンバ大阪と戦ったんですけど、自分と羽生が点を取って勝った。そこからずっとスタメンで出られるようになりました」
スタメンで出場する選手と、外れた選手とでは、自ずとモチベーションの差が出る。
「会場に着くまで、出られるか出られないか、一番微妙なところにいる選手が、すごくドキドキするって言ってましたね。今日はスタメンだと思って行ったら、入ってなかったってことが結構あるんで。選手のモチベーションを考えてのことだと思う。会場に着くまで言わなければ、みんなスタメンだと思って、ひとつのチームとして高いモチベーションでいける。監督は、先の先まで考えて行動や発言をするので、意味あってのことだと思います」
ナビスコ杯制覇
'05年ナビスコ杯、ジェフは準決勝で強豪浦和レッズを倒し、決勝戦に進出。
決勝では、ガンバ大阪と対戦。
「ジェフは、タイトルを取ったことがなくて、自分たちで歴史を作りたいと思っていました。決勝戦まで行っても、最後に負ければ何も残らない。勝って優勝して初めて歴史に残るので、あの一戦は、ものすごく勝ちに飢えていました。オシム監督が指導してきたチームは必ず優勝をしているので、自分たちもここまで強くなれたわけだから、監督に恩返しをしたい、絶対勝とう、という気持ちがありました」
決勝に進出した両チームは、初のタイトルを懸け激戦を繰り広げた。試合は、延長戦でも決着がつかず、PK戦までもつれこむ。
激闘を制し、ジェフが優勝。チーム初のタイトルを獲得した。
「優勝した時は本当に嬉しかったです。『体が大きいからおまえらが潰れてしまう』とか言って、胴上げはさせてもらえなかったですけど、初めて監督の、泣いてるんじゃないかっていう顔を見たときは、言葉で表せないくらい嬉しかった。自分たちが、少しは恩返しができたかなって、ホッとした気持ちがありました」
初タイトルを獲得した夜、ホームスタジアムにサポーターを迎えて報告会が行われ、選手とサポーターがナビスコ杯優勝の喜びを分かち合った。
オシム監督就任3年目に獲得したタイトルだった。
ジェフは、ナビスコ杯だけではなく、リーグ戦でも優勝争いをしていた。最終まで健闘をみせたが、結果は4位に終わった。
「リーグ戦で優勝を逃したときには、監督は、『おまえらは、勝利のメンタリティが足りない、アマチュアだ』ってまた怒られた。『ナビスコの優勝はもう終わったんだ』ってよく言ってました。『いつまでも勝利に浸ってるな!』って。選手同士でもめちゃくちゃ嬉しかったんですけど、もう終わったから忘れようって話してました。タイトルを取って、チームもサポーターもその余韻を楽しんで、その甘さがやっぱりリーグの方に影響したし、監督はそれに気づいて自分たちに言ってくれた。『サッカー人生はここで終わりじゃない。もっとこれから上を目指さなければならないから、忘れる事が大事』と。
サッカーについても、自分の人生についても、考え方が変わりましたね。何も考えずに人生楽しくやっていこうっていう人間だったけど、オシム監督の言葉を聞いて、もっといろいろ挑戦しようっていう気持ちが出てきました」
※次回は初の移籍の心境についてのお話です。乞うご期待〜ヽ(。´∀`。)/
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