☆ボーイズビーアンビシャス~山形の球史を塗り替え続ける~



日大山形高校は、1958年(昭和33年)に山形学園山形第一高等学校として開校され、翌1959年に日本大学の付属高等学校となった。「♪ボーイズ ビー アンビシャス」で始まる校歌は、全国津々浦々老若男女にまで浸透している。
野球部は、学校創立と同じ1958年(昭和33年)に創部され、1963年(昭和38年)夏の選手権大会に初出場した。今大会前までに、甲子園には春3回、夏15回、計18回出場し、通算成績は12勝18敗で、通算出場回数、通算勝利数は共に山形県内最多を誇っている。
日大山形といえば、1973年(昭和48年)、それまで全国で唯一春の選抜出場がなかった山形県に初めて春の便りをもたらし、甲子園の初戦で見事に境高校を5-2で破った。これは同時に山形県勢として春夏通じての甲子園初勝利となった。
また、その年の夏の選手権大会にも出場し、初戦で鹿児島実を2-1で破った。これは同時に山形県勢として夏の甲子園初勝利となった。
さらに、記憶に新しい2005年(平成17年)には、夏の甲子園で山形県勢初となるベスト8入り(春は東海大山形が8強、羽黒が4強)を果たし、山形県勢史上最も長い夏となった。
そして今回、記念すべき第95回夏の大会において、日大三、作新学院、明徳義塾といずれも夏の優勝経験を持つ学校を破って悲願のベスト4に進出を果たし、山形県の球史を塗り替えた。


今大会はベスト4に、初戦で日大対決(日大三)を制した日大山形と初戦で東対決(彦根東)を制した花巻東の東北勢2校が進出した。
第1回夏の全国大会で秋田中学が準優勝する姿を見た先人達は、深紅の大籏が「陸路で白河の関」を越えることがこれ程まで長く困難なことだとは誰ひとりとして思わなかったことでしょう。
この夏こそ、みちのくに一番長い夏が来ることを切に願っている。







以上です。

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