ウクライナ情勢がサッカーに与えた影響 選手たちの運命を狂わせた悲しき砲弾 柴村直弥
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2014年10月29日 10:12 visibility535
2014年2月後半、ウクライナでは大規模な反政府デモの結果、ヴィクトル・ヤヌコビッチ政権が事実上崩壊。それ以降ウクライナ東部の各地で親欧米派と親ロシア派の対立が起きるようになった。それにより、サッカー界にもさまざまな影響が出ている。その中でも特に大きな影響を受けたウクライナの国内リーグ関連の動きや現在の状況について、実際に直面した選手たちにも聞いたことも踏まえてここでは記していきたいと思う。
ウクライナ・プレミアリーグは3月からの試合は軒並み延期となった。3月15日に試合が再開するも、クリミア半島及び東部での試合は引き続き延期となったり、もしくは別の都市で行われる試合もあり、結局クリミア半島では1カ月にわたり試合が開催されなかった。
ウクライナリーグはUEFA(欧州サッカー連盟)ランキングではトップ10(8位)に入っている欧州の強豪リーグであり、国内でのサッカー人気も高い。14年4月16日、本来は3月2日に行われるはずだったリーグの大一番は1カ月半の延期を経てキエフで開催されたが、ディナモ・キエフ対シャフタール・ドネツクの一戦は5万9360人の観客でスタジアムが埋め尽くされたほどだ。
3月16日、ご存じのようにロシア編入をめぐる住民投票がクリミア自治共和国ならびにセヴァストポリ特別市(以下クリミア)で行われた。賛成多数という結果を受け、ロシア側はクリミアはロシア領になったと主張するも、ウクライナ暫定政権はクリミアのみで領土に関する住民投票を行うことは憲法違反にあたり無効であると反発。米国、EU(欧州連合)もウクライナ暫定政権を支持し、クリミアをめぐる問題はいまなお続いている。
こうした中で、クリミア半島内のプロサッカークラブは、3月のリーグ再開から約1カ月、ホームであるクリミア半島内のスタジアムで試合をすることができず、他の地域での試合を余儀なくされた。さらにはFCセヴァストポリとSCタフリヤ・シンフェロポリ、及びジェムチュジナ・ヤルタは13−14シーズン終了をもって、ウクライナリーグから撤退。14−15シーズンはロシア3部リーグに参戦し、14年8月から試合を行っている。(UEFAはロシアリーグへの編入を正式には認めていないが困難な状況下も考慮して試合は禁止していない)
しかし、クラブがそのままロシア3部リーグへ移行したわけではない。ロシア3部リーグでは外国籍選手の登録が認められていないため、両クラブに所属していた多数のウクライナ人選手は選手登録ができず、クラブはいったん解散し、新しいクラブとしてロシア3部リーグへ参戦したのである。このことにより、13−14シーズンまで在籍していたこれらのクラブの選手及びスタッフのほぼすべての人は、所属クラブが突然なくなるという事態に陥った。
ウクライナ・プレミアリーグは3月からの試合は軒並み延期となった。3月15日に試合が再開するも、クリミア半島及び東部での試合は引き続き延期となったり、もしくは別の都市で行われる試合もあり、結局クリミア半島では1カ月にわたり試合が開催されなかった。
ウクライナリーグはUEFA(欧州サッカー連盟)ランキングではトップ10(8位)に入っている欧州の強豪リーグであり、国内でのサッカー人気も高い。14年4月16日、本来は3月2日に行われるはずだったリーグの大一番は1カ月半の延期を経てキエフで開催されたが、ディナモ・キエフ対シャフタール・ドネツクの一戦は5万9360人の観客でスタジアムが埋め尽くされたほどだ。
所属クラブが突然なくなるという事態に
今回のウクライナでの情勢の変化により、大きく影響を受けたプロサッカークラブとしては、クリミア半島内を本拠地とする13−14シーズンにウクライナリーグに所属していた、FCセヴァストポリとSCタフリヤ・シンフェロポリ(ウクライナプレミアリーグ初代優勝クラブ)、そしてウクライナ2部リーグに所属していたジェムチュジナ・ヤルタがまず挙げられる。3月16日、ご存じのようにロシア編入をめぐる住民投票がクリミア自治共和国ならびにセヴァストポリ特別市(以下クリミア)で行われた。賛成多数という結果を受け、ロシア側はクリミアはロシア領になったと主張するも、ウクライナ暫定政権はクリミアのみで領土に関する住民投票を行うことは憲法違反にあたり無効であると反発。米国、EU(欧州連合)もウクライナ暫定政権を支持し、クリミアをめぐる問題はいまなお続いている。
こうした中で、クリミア半島内のプロサッカークラブは、3月のリーグ再開から約1カ月、ホームであるクリミア半島内のスタジアムで試合をすることができず、他の地域での試合を余儀なくされた。さらにはFCセヴァストポリとSCタフリヤ・シンフェロポリ、及びジェムチュジナ・ヤルタは13−14シーズン終了をもって、ウクライナリーグから撤退。14−15シーズンはロシア3部リーグに参戦し、14年8月から試合を行っている。(UEFAはロシアリーグへの編入を正式には認めていないが困難な状況下も考慮して試合は禁止していない)
しかし、クラブがそのままロシア3部リーグへ移行したわけではない。ロシア3部リーグでは外国籍選手の登録が認められていないため、両クラブに所属していた多数のウクライナ人選手は選手登録ができず、クラブはいったん解散し、新しいクラブとしてロシア3部リーグへ参戦したのである。このことにより、13−14シーズンまで在籍していたこれらのクラブの選手及びスタッフのほぼすべての人は、所属クラブが突然なくなるという事態に陥った。
「チーム解散を聞いたときは信じられなかった」
私の現在のチームメイトであるウクライナ人選手、ヴォロディミル・コバルもその1人だ。彼は、ウクライナU−16代表に選ばれて以降、U−21まで各年代のウクライナ代表でエースストライカーとして活躍し、将来を嘱望される選手。5月までFCセヴァストポリに在籍し、ウクライナリーグを戦っていた。しかし、クラブの解散により、彼は所属チームを失い、プレーする場所を探さなければならなくなった。
7月、ポーランドにある私の所属クラブ(OKSストミール・オルシティン)へ彼がやってきた。テスト生としてキャンプから練習に帯同し、その後に正式に加入することになった。私と彼の共通の言語であるロシア語(編注:柴村はウズベキスタンやラトビアでプレーした経験がある)で話をする機会は必然的に増え、FCセヴァストポリの話を彼から聞いた。「チームは解散になり、突然全員が無所属になった。チーム解散を聞いたときは本当に信じられなかったよ」。そう語ったときの彼は、非常に神妙な面持ちであった。
いきなりクラブが解散してチームがなくなったのだから無理もない。自分が所属していたクラブに愛着もあっただろう。ましてや彼はまだ22歳だ。昨年までは想像もしていなかったことが突然起こったのである。
ドネツクに本拠地を置くウクライナリーグ所属のシャフタール・ドネツクは、スタジアム爆破の被害に遭っている。12年にはユーロ(欧州選手権)も開催されたシャフタール・ドネツクのホームスタジアム、ドンバス・アリーナに、8月23日に2発の砲弾が撃ち込まれた。クラブの公式サイトでは爆破で天井が落下し、スタジアムに無数の銃痕のような跡がある映像が映し出されていた。9月5日には両軍の停戦が合意されるも、9月15日にはドネツクの空港が砲撃を受けるなど戦争は続いており、9月19日にまたもこのドンバス・アリーナが爆破被害に遭った。
シャフタール・ドネツクは現在リーグ5連覇中のウクライナの名門クラブであり、現在チャンピオンズリーグ(CL)のグループリーグを戦っている、同大会の常連クラブだ。12−13シーズンには前回王者のチェルシーにも2−1で勝利も飾っている。しかし、前述したように現在はドネツクで試合や練習をするのはあまりにも危険なため、選手たちはキエフで練習をしている。試合は、ドネツクから1000キロ離れたウクライナ西部のリヴィウにあるスタジアムを本拠地に使い、14−15シーズンのリーグ戦やCLを戦っている。
このような状況下でサポーターが1000キロ離れたリヴィウまで行くことは容易ではない。彼らはまたドネツクで試合が開催されることを願っている。しかし、両軍のにらみ合いが続く現在の状況ではドネツクでは試合は開催されない。
言葉にすると当然のことのように思うかもしれないが、毎日共に練習や試合をしている身近な存在であるチームメイトが実際にそのような境遇に遭い、その話を聞いたことで、あらためて真剣に考えさせられた。
コバルとホテルの部屋で二人で話をし、彼がFCセヴァストポリやクリミアの話をしてくれたときの表情は真剣そのものだった。それでも彼は「悲しい状況だが、一刻も早く母国ウクライナの状況が良くなり平和に暮らせることを願っている。われわれは前を向いて進んでいくしかない」と、最後には笑顔も見せてくれた。自分が立たされた境遇やつらい事実を受け止め、それを乗り越えながら彼は前に進んでいる。
サッカー選手としてできることは限られているかもしれない。それでも世界が平和であるためにできることをしていきたいと思う。こうした境遇に直面する選手たちもいる中で、自分がプレーできていることに幸せを感じつつ、当たり前のことかもしれないが、1日1日を大切に、精いっぱいプレーしていきたいと切に思った。
7月、ポーランドにある私の所属クラブ(OKSストミール・オルシティン)へ彼がやってきた。テスト生としてキャンプから練習に帯同し、その後に正式に加入することになった。私と彼の共通の言語であるロシア語(編注:柴村はウズベキスタンやラトビアでプレーした経験がある)で話をする機会は必然的に増え、FCセヴァストポリの話を彼から聞いた。「チームは解散になり、突然全員が無所属になった。チーム解散を聞いたときは本当に信じられなかったよ」。そう語ったときの彼は、非常に神妙な面持ちであった。
いきなりクラブが解散してチームがなくなったのだから無理もない。自分が所属していたクラブに愛着もあっただろう。ましてや彼はまだ22歳だ。昨年までは想像もしていなかったことが突然起こったのである。
爆破被害に遭ったスタジアム
現在もウクライナ東部ではウクライナ暫定政府と親ロシア派のにらみ合いが続いており、東部の街、ドネツクでは市街地が戦場と化してしまっている。ドネツクに本拠地を置くウクライナリーグ所属のシャフタール・ドネツクは、スタジアム爆破の被害に遭っている。12年にはユーロ(欧州選手権)も開催されたシャフタール・ドネツクのホームスタジアム、ドンバス・アリーナに、8月23日に2発の砲弾が撃ち込まれた。クラブの公式サイトでは爆破で天井が落下し、スタジアムに無数の銃痕のような跡がある映像が映し出されていた。9月5日には両軍の停戦が合意されるも、9月15日にはドネツクの空港が砲撃を受けるなど戦争は続いており、9月19日にまたもこのドンバス・アリーナが爆破被害に遭った。
シャフタール・ドネツクは現在リーグ5連覇中のウクライナの名門クラブであり、現在チャンピオンズリーグ(CL)のグループリーグを戦っている、同大会の常連クラブだ。12−13シーズンには前回王者のチェルシーにも2−1で勝利も飾っている。しかし、前述したように現在はドネツクで試合や練習をするのはあまりにも危険なため、選手たちはキエフで練習をしている。試合は、ドネツクから1000キロ離れたウクライナ西部のリヴィウにあるスタジアムを本拠地に使い、14−15シーズンのリーグ戦やCLを戦っている。
このような状況下でサポーターが1000キロ離れたリヴィウまで行くことは容易ではない。彼らはまたドネツクで試合が開催されることを願っている。しかし、両軍のにらみ合いが続く現在の状況ではドネツクでは試合は開催されない。
平和のためにできること
サッカーは平和であればこそ存在できるものである。言葉にすると当然のことのように思うかもしれないが、毎日共に練習や試合をしている身近な存在であるチームメイトが実際にそのような境遇に遭い、その話を聞いたことで、あらためて真剣に考えさせられた。
コバルとホテルの部屋で二人で話をし、彼がFCセヴァストポリやクリミアの話をしてくれたときの表情は真剣そのものだった。それでも彼は「悲しい状況だが、一刻も早く母国ウクライナの状況が良くなり平和に暮らせることを願っている。われわれは前を向いて進んでいくしかない」と、最後には笑顔も見せてくれた。自分が立たされた境遇やつらい事実を受け止め、それを乗り越えながら彼は前に進んでいる。
サッカー選手としてできることは限られているかもしれない。それでも世界が平和であるためにできることをしていきたいと思う。こうした境遇に直面する選手たちもいる中で、自分がプレーできていることに幸せを感じつつ、当たり前のことかもしれないが、1日1日を大切に、精いっぱいプレーしていきたいと切に思った。
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