サッカー、世界的繁栄の黒歴史 東側“国策”有力クラブと秘密警察、政治権力との密着(Business Journal )
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2014年06月27日 10:23 visibility539
2012年にロンドンで開催された第30回夏季オリンピック競技大会では、日本と韓国が激突したサッカーの3位決定戦後、韓国人選手が「独島は我が領土」と記載されたプラカードを掲げる騒動を起こした。今大会は、ウクライナ情勢を受けて、ロシア戦で一悶着が起きるのではないかと懸念されている。
騒動が起きるたびに、メディアでは「スポーツに政治を持ち込むな」という、もっともらしい批判が語られるが、結局、なんの解決にもならないことが多い。それはスポーツと政治の関係、その中でも飛び抜けてサッカーが政治権力と密着してきたからだ。
●ディナモ・キエフの美談は捏造? 例えば、今、紛争の発火点となっているウクライナには、その象徴ともいえる存在がある。FCディナモ・キエフは、ウクライナの首都キエフを本拠地とする世界的なビッグクラブだ。伊セリエAの名門・ACミランやイングランドプレミアリーグの強豪・チェルシーなどで活躍したスター選手のアンドリー・シェフチェンコを輩出したほか、ヨーロッパチャンピオンズリーグ(CL)の常連とあって、日本での知名度も高い。
そのディナモ・キエフを世界的に有名にしたのが、第二次世界大戦時代にナチスと行った親善試合で、世に知られる「デス・マッチ」(死の試合)である。
ナチスの占領下となったウクライナで、ナチスはサッカーの親善試合を企画する。当時からヨーロッパ屈指の強豪でウクライナ人の誇りとなっているクラブをナチスが倒し、ナチスの優秀性、それに歯向かう愚かさを教え込むのが目的だった。
「もしナチスに勝つようなことがあれば、選手は全員処刑する」、そう脅されながらも、ディナモ・キエフを中心に編成されたFCスタルトの選手たちは、母国の誇りのために死力を尽くして戦い、占領下の国民のために勝利した。ナチスは再試合の場を設けるが、その試合でもFCスタルトが勝利したため、選手たちは全員処刑されることになった。
このエピソードをモデルにシルベスター・スタローン主演で映画『勝利への脱出』(パラマウント映画/1981年)が制作されたほどサッカー界では有名な話で、ディナモ・キエフのホームスタジアムには、この試合の記念碑もあるほどだ。
ところが、スポーツジャーナリストのサイモン・クーパーによれば、この逸話は真っ赤なウソだという。94年、クーパーが「サッカーと政治」の問題に正面から切り込んだのが『サッカーの敵』(翻訳・柳下毅一郎/白水社)である。
サイモン・クーパーが現地で取材したところ、ディナモ・キエフの広報担当者が、あの試合で選手がナチスに殺されたのは嘘であり、旧ソ連の諜報機関KGBによる戦後のプロパガンダだったと証言。
さらにクーパーは、旧ソ連時代、KGB局長が地元モスクワのサッカークラブにディナモ・モスクワと名付けて以降、旧東側諸国では、秘密警察が管轄するサッカークラブを「ディナモ(英語:dynamo、発電機)」と名付ける習慣が生まれたと紹介する。東ドイツナンバー1のクラブだったディナモ・ベルリンは東ドイツの秘密警察シュタージ、元日本代表の三浦知良が入団したクロアチアのディナモ・ザグレブも旧ユーゴスラビアの秘密警察UDBAが関与している。
●サッカーと政治の関わり 東側諸国の有力クラブに秘密警察が関わってきたのには理由がある。米ソ冷戦時代、東側の人間が、最も簡単に西側へ入国できるのが、サッカーの強豪クラブだったからだ。ヨーロッパチャンピオンズカップ(当時)に出場すれば、西側諸国のチームとホーム&アウェーで対戦する。チームを強化して勝てば勝つほど、KGBなどの工作員にとって何かと都合が良い。チームの強化は、秘密警察にとって最も重要な任務の1つだったわけだ。
ソ連崩壊後、ディナモ・キエフの政治力は衰えるどころかますます高まったらしく、クラブの国際部長はクーパーに次のように衝撃的なコメントを残している。
「ディナモは核ミサイル部品を輸出するライセンスを持っている。金(ゴールド)を年間2トンまで、それにプラチナなどの重金属も」(本書より)
ソ連崩壊に伴い、91年に独立したウクライナ政府にとって、ディナモ・キエフは西側諸国に通用する唯一の「有力ブランド」であり、それゆえにウクライナ政府は、多くのミッションを同クラブに委託してきたというのである。
90年代の混乱期、ウクライナは大量の武器を輸出してきた。中国人民解放軍初の空母「遼寧」は、ウクライナが中国に「カジノ船」として売却した旧ソ連海軍の空母ヴァリヤーグが母体となっている。その売買にディナモ・キエフが関わっていたとしても、実はなんの不思議もないのである。
ディナモ・キエフがヨーロッパ屈指のクラブになったのは、それがウクライナ政府の強い要望であり、国家を挙げて強化してきた結果でもある。昨今のウクライナ情勢において、この国策クラブが何かしらの役割を果たしてきた可能性すらあるのだ。
クーパーは、政治権力と密接に関わってきた「サッカーの暗部」を「フットボール・アゲインスト・ザ・エネミー」(サッカーの敵)と呼び、厳しく批判している。しかし、見方を変えれば、これこそがサッカー、「ディス・イズ・フットボール」ではないだろうか。大衆を熱狂させる力があるから、プロパガンダの格好のツールとして権力者たちはサッカーを保護してきた。それがサッカーを世界的なスポーツへと押し上げてきた側面も決して否定できまい。
サッカーは、もともと政治的な要素を持っている。スポーツに政治を持ち込むなという批判が空虚に聞こえるのは、すでにそれが持ち込まれているからなのだ。
(文=編集部)
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