奈良県で開催された高校野球大阪大会?
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Mr.black
2009年06月16日 11:12 visibility495
タイトルを読んで意味がよく分らなかった方も多いと思います。
「事実は小説よりも奇なり」という言葉がありますが、これは正にそういうお話です。
タイトル通り、「かつて高校野球大阪大会が奈良県の野球場で開催されたことがある」のです。
この通常ではあり得ないことが起こったのは大阪府の野球場不足が原因でした。
1970年代から80年代頃、高校野球大阪予選は7つの野球場で行われていました。
日生、藤井寺、大阪、住之江、万博、久宝寺、松下の7箇所です。この内、松下球場は社会人野球の練習グランド程度のレベルでスタンドも整備されていなくて観戦には不向きだったせいもあるのか数年後には利用されなくなりました。
さらにはこの後、南海ホークスの身売りでプロ野球開催が少なくなった大阪球場が閉鎖されました(1990年に閉鎖。以後は住宅展示場になる。)
これで大阪大会を開催できる野球場が5箇所に減少してしまい、試合消化が困難になりました。切羽詰った大阪高野連がお隣の奈良県と兵庫県に頼んで緊急措置的に鴻ノ池球場(奈良県)、西宮球場(兵庫県)を間借りすることになったわけです。
これは当時ローカルニュースで話題になり、自分も新聞の写真で鴻ノ池球場で開催されている大阪大会の様子を見たことがあります。当時はとにかく「情けない」と思いました。何故そう思ったかというと上記の大阪大会開催7球場をチェックしていただければ分ることです。
日生と松下は企業が自社のチームの練習場として造った球場、大阪と藤井寺はプロ野球のために造られた球場、万博はその名の通り大阪万博の跡地利用という特殊な事情で出来た球場、つまり大阪府なり大阪市なりが公共の設備として自前で整備した硬式野球場は住之江と久宝寺だけということなのです。
「野球どころ」を自負していながら自前の公営球場が僅か2箇所で後は企業・プロ野球に依存していたということ。その一方でプロとアマの線引きを厳格にしており、更にはユニフォームは華美なものはダメなどと規制していたこと、これらの矛盾がこの他県に野球場を間借りした時に際立ったからです。
これはまずいと思ったのでしょう。以後、豊中ローズ、寝屋川、南港中央、などが急速に整備されていきました。
大阪府の野球場整備の不手際をカバーしてくれた西宮と鴻ノ池。この鴻ノ池球場、以前から行きたいと思いつつなかなか実現できませんでした。昨日ようやく訪れることが出来ました。
(写真がその鴻ノ池球場です。)
長くなりましたので球場そのものについては別に書きます。
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