李忠成を見て悲しくなった
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viva
2011年02月03日 04:54 visibility841
日本人でもなく韓国人でもなく単にサッカー選手としている。ラモスもそうだが日の丸日本為に試合をしていと言い切る李の場合は国籍をとったにもかかわらずそれぞれの国に気を使いながら代表として試合をしているのはチームと言うよりも単に個人の為なのだろうか..相手の国は日本という国を相手にしている一サッカー選手等関係ないのである。この東アジアの大人になりきれない各国の対応は幼稚としか思えないところがある。 在日韓国人である彼は、2004年の19歳の時にU-19(19才以下)韓国代表チーム候補になったが、言葉と文化の違いにより09年に日本に帰化した。李忠成が韓国メディアのインタビューに述べた「日本人、韓国人ではなく、サッカー選手としてここにいる」という言葉が印象的だとし、今の地位にたどり着くまで彼が経験した困難を考えると複雑な気持ちになるという。 「残念ながら日本が優勝を遂げた。しかも韓国から帰化した李忠成が華麗(かれい)なボレーシュートを決めて。気分はひとことで言うと『苦々しい』」と語り、「彼が天空に放った弓矢は、日本の優勝を望まなかった私たちの胸に確実に刺さった。あ…とても痛い」と李忠成の活躍に複雑な心境を述べた。 金星根監督「李忠成を見て悲しくなった」プロ野球SKワイバーンズの金星根(キム・ソングン)監督は笑った。 しかしその笑いには苦笑も含まれていた。 「いま日本は李忠成のため大騒ぎだ。 親もインタビューも出てきて…。 李忠成の話ばかりだ。 でも私は少し悲しい」。 金監督と李忠成(26)は在日同胞だ。 40歳以上の年齢差のため他の種目を選んだ。 しかし苦い記憶を共有している。 2人は同じだと考えていた韓国人から「半チョッパリ」という言葉を聞いた。 在日同胞4世の李忠成は04年に韓国U-18(18歳以下)代表チームに抜てきされた。 しかし期待した「歓待」はなかった。 むしろ「半チョッパリ」という冷笑が向けられた。 結局、李忠成は07年2月に日本に帰化した。 金監督は在日同胞2世だ。 1959年に在日同胞野球団所属で初めて韓国の地を踏んだ。 翌年(1960年)東亜大に入学し、永住帰国を決心した。 金監督も同僚や観客から半チョッパリという言葉を聞いた。 金監督は「永住帰国を決心するまではあまり悩まなかった。 しかし韓国に住み始めてから難しい問題があった。 私は韓国人なのに…。 韓国人と見ない人たちが多かった。 私は『必ず韓国で成功する』という意志が強く、人々の冷たい視線がここまで来る力になった」と話した。 金監督は日本に帰化するしかなかった李忠成の気持ちも理解している。 金監督は「多くの在日同胞が帰化をする。 なぜそういう選択をしなければならないのかを知れば、胸が痛む。 李忠成の場合、韓国人から冷遇を受けたからもっとそうだろう。 日本人の視線は知らない。 韓国の人たちは彼に冷たく接しないことを望む。 国も在日同胞の人権問題にもっと関心を抱いてほしい」と明らかにした。
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