ピックアップレジェンドサッカープレイヤー No.333

  • K
    2025年02月20日 23:38 visibility46

上田 康太(うえだ こうた)

国籍 日本

生年月日 1986/5/9

出身地 東京都青梅市

身長/体重 174cm/68kg

ポジション MF(DMF・LMF・OMF)。DF(LSB)

利き足 左

代表デビュー なし

主な出場大会 なし

 

プレースタイル

高い技術とボールコントロールを持ち、正確な左足のキックを武器にゲームをコントロールするレフティ。磐田では「名波浩の後継者」と期待されていた。

 

経歴

小学校1年の時に青梅2SCでサッカーを始め、小学校4年から読売SCジュニアでプレー。中学時代は柏レイソル青梅ジュニアユースでプレーし、高校からはジュビロ磐田ユースに加入。高校3年の時には当時トップチームの中心選手だった名波浩と同じ7番を背負いキャプテンを務め、日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会や高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-18)大会で準優勝を果たした。

 

高校卒業後はトップチームに昇格。2006年の夏から出場機会を増やし、ボランチやトップ下、またそのサイドチェンジ能力を買われて左サイドバックとしても起用された。その後北京五輪日本代表候補にも選出され、2010年にはヤマザキナビスコカップ優勝に貢献。2011年には大宮アルディージャに完全移籍。ここでは移籍1年目はリーグ戦31試合に出場したが、翌年以降は出場機会が減少し、2014年3月にはファジアーノ岡山に期限付き移籍。ここではレギュラー確保に成功し35試合に出場した。

 

2015年にジュビロ磐田に復帰。ここでは背番号7を背負い、またゲームキャプテンを務め、攻守を支えるボランチとしてチームのJ1昇格に貢献。2016年は開幕戦こそスタメン出場したが、失点に繋がるミスを犯すなどなかなか調子を上げることができず、最終節のベガルタ仙台戦こそ直接フリーキックを決めて磐田をJ1自力残留に導いたが、同年はリーグ戦18試合の出場にとどまった。2017年シーズンも控えが多かったが、J1第9節札幌戦では、FKの名手である中村俊輔がシーズン初の欠場となったが、後半20分に自身のFKがゴール左上に吸い込まれ、同点弾を挙げた。

 

2018年シーズンから完全移籍でファジアーノ岡山へ復帰。ここでは3シーズンにわたってレギュラーを務め2020年もリーグ戦41試合に出場して4得点を記録したが、クラブは下位に低迷しシーズン終了後に契約満了による退団が発表された。2020年12月末には栃木SCへ加入。しかし、ここでもリーグ戦11試合の出場にとどまり、2021年シーズン終了後に契約満了により退団した。2022年1月にはJFLに所属するクリアソン新宿へ加入。ここでは2年間背番号10をつけてプレーし、2023年11月10日に現役を引退することが発表された。

 

2024年1月にはクリアソン新宿の強化担当の就任が発表された。

 

代表記録:なし

 

皆さん、こんばんは!

U-20日本代表はなんとか韓国と引き分けてグループリーグ2位で突破しましたね(*^▽^*)

ただ試合終了間際の失点で引き分けただけに後味が悪い感じになってしまいましたが^^;

その悔しさは次の準々決勝のイランとの試合で勝して晴らしましょう!

 

さて今回は引退選手の紹介でかつて磐田で名波浩の後継者として期待されたレフティの上田康太氏です!

 

上田氏はジュビロの下部組織出身で高校3年の時には背番号7を背負い、主将としてチームを引っ張り、武器が左足のキックという事で「名波浩の後継者」として期待されていました。

 

またトップチームでも主力として活躍し、かつて磐田の監督と務めていたアジウソン氏からも「彼は将来の日本代表に欠かせない選手になる」と評価されていました。

 

その後は大宮でプレーし、岡山でレギュラーとしてプレーし、磐田へ復帰し、岡山へ再び加入し、栃木を経て、最後は新宿でプレーして現役を引退しました。

 

そして今ではJFLクリアソン新宿の強化担当として奮闘し、なんと今年は新潟で主力を貼っていた島田穣を引っ張ってきました!

 

ぜひ23区初となるJリーグ参入に向けてクリアソン新宿を盛り上げてほしいと思います!

 

頑張れ!上田!頑張れ!新宿!

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