
ヒーロー列伝。。。野茂英雄
-
-
30 オオチロ
2010年11月14日 00:16 visibility392
日本シリーズ第6戦、過去最長の5時間43分
の死闘。。。試合を演出したのが、ソウル
オリンピック元代表の黄金バッテリー、
野茂と古田のお二人だった。。。
軽快な解説の古田に対し、野茂のぼそぼその
しゃべり。。。しかし、話し方とは印象が違う、
的確で鋭いコメントは、アナウンサーの綺麗な
語りの中の少しずれた観点との調和が、
おもしろおかしく時間(とき)を過ごさせてくれた。。。(笑)
本日は、そのぼそぼそしゃべりのNOMOさん
の功績を振り返ってみたいと思います。。。
1968年、大阪府大阪市港区で
生まれた野茂は、幼少から野球
を続けるが、脚光を浴びること
なく、高校入学。。。公立校の
成城工業高校へ入学、大会で
完全試合を記録するなど、プロの
目に止まっていたが、社会人
野球の新日鐵堺へ入社。。。
2年目にはエースとして都市対抗
等でも活躍し、ソウルオリンピック
でも日本代表として、銀メダルを
獲得した。。。翌年、史上最多の
8球団の指名を受け、近鉄
バッファローズへ。。。投手タイトルを
総なめし、押しも押されぬ日本の
エースへと駆け上がっていった
のだった。。。
近鉄球団の横暴な対応や、鈴木
監督との確執により、1994年
退団。メジャーへと導かれて
いったのだった。。。ドジャースと
いう水を得たNOMOは、6月に
初勝利を挙げると、13勝6敗・
リーグ最多の236奪三振を記録
するなど、オールスターゲーム
にも選出。栄誉ある先発投手と
して参加し、トルネードは一気に
全米でも人気者となり、日米
両国での新人賞も獲得、その後
2度のノーヒットノーランや日米
通産201勝(名球界入)、3122
奪三振を記録するなど、
トルネードは、日米を駆け
抜けていった。。。
『 挑戦すれば、成功もあれば
失敗もあります。。。でも挑戦
せずして成功はありません。。。
何度も言いますが、挑戦しない
事には始まらないんです。。。 』
思い出してほしい、野茂が
メジャー挑戦を口にした時、
マスコミをはじめ、多くの人々が
「 やめておけ、どうせ成功する
わけがない。。。 」と口を揃えて
言っていた事を。。。メジャーの
先駆者として、道を開いた
NOMOのチャレンジ、そして
懐疑的な意見を跳ね飛ばした、
素晴らしい活躍の数々!
トルネードが、進んで
いなければ、ICHIROや
MATSUIの活躍も未だに
見れず、WBCの優勝もなかった
のではないでしょうか!?
世代を越えた、日本野球への
功績は絶大である。。。しかし、
その言葉を野茂さんに語っても、
「 勝つために投げていただけな
ので。。。なんでそんなこと言うん
ですか?なんなんですか? 」と、
ぼそぼそ口調で怒られてしまう
はずです。。。(苦笑)
30 オオチロ
- favorite63 chat29 visibility392
- 事務局に通報しました。
chat コメント 件