
この時期でこの時期を思う
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おーろら
2008年05月15日 23:47 visibility35
なんか思い出した。
2000年
☆キリンカップで二つの事件
�ワールドカップ、チケット半券サポーター枠、半券署名運動
�トルシエ解任騒動
あと名古屋グランパスエイト、天皇杯を取るも、チームが勝てず、七月の空中分解間近。
2001年
☆FIFAコンフェデ杯。
半券署名が実を結び、日本国内Jリーグ及び代表サポーターはワールドカップ日韓開催のチケット購入の可能性が広がる。
新潟スタジアムビックスワンコケラ落とし。初戦ゲームでは新潟市内が混乱するも、二日後には奇跡の誘導。 日本代表はカナダとカメルーンに勝つ。鈴木隆行初キャップ初ゴール。
全席指定席によるワールドカップの予行演習。チケット販売なども予行演習。 中一日、中二日でやばい戦いが続く。 キックオフ時間も準決勝は夕方五時横浜国際など。大雨の中、鈴木隆行が退場になるも、ヒデがフリーキックを決め、有名な仁王立ちポーズ。 しかし試合後、中田英寿がローマに戻る戻らないでチーム内の不協和音がささやかれる。トルシエと協会、ヒデ、ローマ、カペッロなどが複雑に絡む。 ※サッカーマガジンで先日掲載 決勝、フランス相手に惜敗。何十年に一度のチャンスを悔やまれる感じで終了。
この試合の頃からサッカーバブルがささやかれる。
サポーターオーバートレーニング症候群により、サポーターの体調不良がひそかに流行る。
コンフェデエンザと呼ばれる。
※そんな病はありません(爆)。のどの 使い過ぎから体調不良。咳きも出る。
2002年
ゴールデンウイーク前にキリンカップがあった。
※Jリーグは4月で中断。
ちょうど五月十五日頃、日本代表が発表。 高原直泰、中村俊輔、中澤佑二、大岩剛、名波浩、三浦淳宏は外れる。 西沢、森岡はけがや病気でも入る。 秋田と中山が選ばれる。
五月二十五日、東京タワーが土日は青く光った日、雨の日曜とは違った次元の快晴だった前の日の土曜。 スウェーデンを相手に引き分け。物凄い雰囲気で代表をワールドカップへ送り出す。 トルシエ、日本語で挨拶。
オーロラ、みんなのおかげでロシア戦、チュニジア戦に行く予定も、ベルギー戦の参戦を狙う。
五月末、アルゼンチン、イタリア、イングランド、などが来日。ワールドカップフィーバー。 空前のワールドカップブーム。 カメルーン代表来日の遅延がニュースに。
初戦新潟が開幕すると、すさまじい、本当に楽しい一ヶ月が日本に訪れる。
2003年
ワールドカップ日本代表を追いかけるも、みんな海外へいっちゃう。 ジーコジャパンが微妙でねえ〜。
それでもソウルワールドカップスタジアムとか行ったりして。
川崎フロンターレが面白いサッカーをするのを前年秋に見て興味を持つ。鬼プレス!石崎フロンターレ!
2004年
前年、本当に惜しいJ2三位を見て、シーズンを爆走観戦!
Mind−1
を心に。
関塚フロンターレ! こいつらは絶対に上に行くと信じ、川崎とともに。勝ち点、得点は月に13とか15を積み重ねる。すごかったよ。
相馬が中村憲剛とボランチ組んでたのがすごい楽しみだった。色んなことを教わったんだと思う。
この日記ではここまで。あとは大したことないか(笑)。
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- 事務局に通報しました。
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