
TBC代表日記 ~Follow your dream~ vol.2
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パイ助
2010年12月23日 03:37 visibility171
前回の日記に引き続き、カズのことについて書きます!
~KAZU帰国編~
「日本をワールドカップに連れて行く!」
1990年7月、カズは帰国し「読売サッカークラブ」と契約する。ブラジルでの最後の2年間は、カズは評価も高く人気選手であり、名門「サントスFC」とも契約し、まだこれからという時での
帰国であった。ブラジルでの成功を捨ててなぜ日本に帰ってきたのか、残念がるファンも多かった。
当時日本のサッカー界には、プロリーグの構想が持ち上がっており、カズは、その構想に引かれ日本に帰ることを決意したのだ。カズは、ブラジルで人気選手としてサッカーを続けることより、 日本のサッカーのレベルを上げ、日本代表チームの一員としてワールドカップ出場を目指すことを選択したのだ。
日本に戻ってきたばかりのころ、カズは「代表の試合で国立をいっぱいにするんだ!」と言った。
当時それを聞いた北澤豪は、あまりにも現実離れしたその発言に「宇宙人みたいな人だ」 と思ったという。
今では、代表の試合のチケットをとることは難しいことにさえなった。すべてはあの男のあの言葉から始まったと言っていいだろう。
「夢を見なければ、叶うこともない。足元の道なりも楽しいけれど、たまには、空を見上げてみるってのもありなんじゃない?」
その後、読売クラブに移籍したカズは数々のチーム・個人タイトルを総なめにし、日本代表でも結果をだし名実ともに日本代表のエースとなったのである。
当時の日本代表にはどんな逆境でも必ず一つの合言葉がそれを救ってくれた。
「日本にはカズがいる。」
93年10月22日、カタールの英字紙、「ガルフ・タイムズ」に「KING KAZU」の見出しが躍った。
日本がW杯初出場に迫った94年のアメリカ大会最終予選。第1戦のサウジアラビアに引き分け、第2戦のイランに完敗した日本が、三浦知良の活躍で北朝鮮との第3戦を3-0と圧勝し、 W杯に望みをつないだ翌日だ。
同紙はカズのゴールやドリブルの写真を掲載し、「大きなハートを持った小さな男が日本をワールドカップに奮い立たせた」と伝えた。
「キングカズ」の呼び名はこうして広まった。同予選で日本の全ゴール中4ゴールを挙げ、この年に始まったJリーグでは初代最優秀選手に選ばれた。だが、カズは話す。
「自分では『キング』の重みはなかった。そう呼ばれるのは嬉しいが、今も抵抗はある」 欧州のサッカー専門誌で「アジアの王様」「日本の象徴」と紹介されても、 W杯のピッチこそが称号を得る資格があるという思いがあるからだ。
その後、日本代表チームは、ワールドカップ・アメリカ大会出場まであと一歩というところまで迫るが、最終戦のイラク戦のロスタイムにゴールを奪われ、まさかのワールド・カップ初出場を逃してしまう。
これが世の言うドーハの悲劇であり、当時の僕もテレビの前で家族全員が放心状態になったことは忘れられない。
それでも世界への距離感を急速に縮めた日本のサッカーは、人気実力ともに上昇していった。これらの功績はカズなしではとても成し遂げられるものではなかった。
~KAZU衰退編に続く~
- 事務局に通報しました。
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