惜別!去り行く虎戦士を振り返る�
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そらまめ
2008年01月13日 15:08 visibility162
2007年のタイガースは5人の助っ人選手が存在した。
在籍年数が長くなったウィリアムス投手
来日3年目のダーウィン投手
来日5年目、阪神では3年のシーツ内野手
そして来日1年目のボーグルソン、ジャンの両投手だ。
そして、この中から、3人の虎戦士が、2007年を持って縦縞のユニフォームを脱ぐこととなった。
シリーズ「去り行く虎戦士を振り返る」5回目はこの3選手に触れてみる
アンディー・シーツ内野手(自由契約・引退)
守備の上手さからつけられた、「シーツ先生」の愛称は有名。
2003年に広島東洋カープに入団。
内野の守備強化として期待され、要の遊撃の守備について高評価を受けた。
バッティングは期待されておらず、当初2番を打っていたが、思いがけずシュアなバッティングで好成績を残し、4番を務めることもあった。
2004年シーズン終了後、広島と金銭面・条件面などでもめて自由契約となった。
当時の阪神は横浜を退団したタイロン・ウッズの獲得に動いていたが、中日との争奪戦に敗れ、シーツの獲得に方向変換。
そして、福岡ソフトバンクホークスの争奪戦の末、シーツの阪神への入団が決まった。
阪神に移籍してからは、彼自身もあまりやったことのないという一塁手を務めたが、守備の達人と言われるだけあり、ショートバウンドの送球処理、一塁のベースカバーに入る投手へのトスの上手さ、また、一塁線への痛烈な打球でも平然と捕って併殺を奪うなど、その貢献度は高い。
鳥谷などが頻繁に悪送球気味な送球を繰り返しても平然と捕球。
救われた野手も多い。
阪神では、3番打者という主軸打者として、2年間の広島での経験を基に結果を残した。
しかし、2007年は深刻な打撃不振で1軍登録を抹消されることさえあり、限界説もささやかれ、来日以来最低の成績に終わった。
ペナントレース最終戦の10月3日のヤクルト戦では、広島時代のレギュラーポジションであったショートで。阪神としては最初で最後のスタメン出場をした。
2007年11月12日、阪神より退団が発表がされた。
他のチームからの誘いも多かったと聞くが、シーツは阪神に大変愛着があり、帰国する時の記者からの問いかけに「阪神でプレーできないのなら引退する。」と話し、退団と同時に現役生活に終止符を打った。
タイガースとしては、2005年の優勝に大きく貢献。記憶に残る助っ人選手となるだろう。
その人柄、順応性の良さから、将来は指導者となるであろうが、ぜひ日本にも指導者として帰ってきて欲しい逸材の1人である。
エステバン・ジャン投手(自由契約)
メジャーリーグでリリーフとして活躍し472試合に登板したドミニカン。
1990年にアトランタ・ブレーブスに入団。
ボルティモア・オリオールズに移籍後の1996年にメジャー昇格。
その後、デビルレイズ、レンジャーズ、カーディナルス、タイガース、エンジェルス、レッズ、ロイヤルズの各球団を渡り歩いた。
うち245試合はタンバベイデビルレイズでリリーフ登板し最も活躍した時代といえる。
193cm116kgの大柄の体からの球はかなり速くコントロールもいい。
2000年には先発として20試合に先発し、チームで2番目に多い7勝を挙げている。
2001年からは完全に抑えに転向し22セーブ、翌2002年も19セーブを挙げた。
そのような実績を引っさげて、大いに期待されて2007年、阪神タイガースに入団した。
契約金も含めると年間約3億円の大型2年契約。
4月3日のヤクルト戦に先発し、来日初登板初勝利をマーク。
4月24日のヤクルト戦では、ラミレスの打球が顔面に直撃し出血、右あご裂傷で9針縫うこともあった。
大汗かきでタオルが手放せない。
冬でも汗がとまらず、梅雨の季節はしんどさを感じた。
そして投球直前のセット時にグラブを止められない癖があり、厳しくボークの判定を受け続けた。
5月8日の読売戦では、球団史上初となる1イニン2ボークを記録。
8月3日に広島の梵に対し、ボーク判定直後に死球を与えた。
8月21日のヤクルト戦では、日本新記録となるシーズン12ボーク目を記録。
そしてこの判定の直後に、また厳しいボーク判定にキレ、打者の武内に対して内角をえぐる投球を繰り返し、3球目が頭部を直撃した。
これが危険球とみなされ退場処分。
これがきっかけで翌22日に登録抹消となり、結局その後は一軍に戻れないままシーズンを終えた。
2軍生活を送るジャンを鳴尾浜で見たことがある。
若手の中で、笑顔で明るくトレーニングをしていた。
元来の性格は、非情に明るく、優しい人柄だと思えた。
ファンに対しても、優しく接し、受け答えも抜群だった。
10月2日、父親の体調悪化のため米国に帰国。
そのまま次期の1年の契約未了のまま11月12日に退団が発表された。
結局21試合、6勝5敗0セーブ、防御率4・66の成績を残した。
非常にいい投手だと思ったが厳しいボーク判定や日本の湿度など日本野球には馴染めなかったのかもしれない。
ジャンは引き続き現役続行を希望しているという。
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