惜別!去り行く虎戦士を振り返る�最終回

暗黒時代の最後の最後、野村監督の下で輝きを見せた男。
2004年無敗の5連勝で輝きを見せたが怪我に泣いた不遇の左腕。

シリーズ「去り行く虎戦士を振り返る」最終回はこの両選手です




上坂太一郎内野手(自由契約)

享栄高校から王子製紙春日井を経て1999年ドラフト5位で阪神タイガースに入団した。
小柄ながらパンチ力もある打撃力と俊足で注目されていた。
初出場は2000年9月6日の代走。
初スタメンは2000年9月13日の読売戦。
1番レフトで出場し、プロ初安打を含む猛打賞、さらには二盗・三盗を連続で決め、鮮烈なデビューを飾っている。
当時の野村監督の信頼を受け、左投手または読売戦でメイが先発のときは坪井を外してスタメンで起用された。
秋季キャンプでは和田豊の後釜に指名され、セカンドの練習とスイッチ・ヒッター挑戦に励んだ。
2年目の2001年にはF1セブンの一員として1軍89試合に出場。ほぼセカンドのレギュラーを獲得した。
また濱中治・赤星憲広と3人で平成の新少年隊と呼ばしめた。
2001年6月29日のヤクルト戦では、延長十回に、石井弘からこの日66歳の誕生日を迎えた野村監督を祝うプロ初のサヨナラホームランを放ち、ますます監督の信頼を得るようになった。
7月17日の読売戦での自身2度目のサヨナラヒットは、球団史上初となる対読売戦3試合連続サヨナラ勝ちの快挙となる一打だった。
しかし、2002年監督が星野仙一氏に代わると、サードから再びセカンドに戻った今岡誠選手にポジションを奪われた。
そして、他の各ポジションを挑戦するも、競争に敗れベンチウォーマーに。
星野監督からは野村監督のような信頼を得られず、さらに次第に一軍から縁遠くなっていった。
最後の1軍出場のチャンスが2006年7月2日の東京ドームでの読売戦。
8番三塁でスタメン出場するも2打数無安打、2失策と振るわず、岡田監督からも完全に信頼を失った形となり二軍降格。
2007年は一軍出場は全く無く、10月27日戦力外通告を受けた。
上坂といえば、もう一つ、スピード違反事件も有名だ。
チームが18年ぶりに優勝した年の2003年6月9日、兵庫県西宮市内で制限速度を 83km/h オーバーする 123km/h で走行。
それをオービス撮影された。
さらに、7月18日にも 58km/h オーバーの 98km/h で走行中にオービスに撮影。
再三の出頭要請に気づかず結果的に無視した形となり、阪神球団にも報告していなかったことで処分を受けた。
2004年5月には有罪判決を受け、出場停止と罰金100万円の制裁を受けている。
鳴尾浜での練習は、中堅の位置になっても若手を引っ張り、いつも大きな声を出し続けていた。
ランニング、基礎練習ではいつも先頭を走っていた。
戦力外通告後、2007年第1回トライアウトを受験するも獲得に乗り出す球団はなかった。
現役続行を断念し、今後は母校の享栄高校野球部のコーチに就任し飲食店経営も始めるという。
晩年の起用法は恵まれなかったが、暗黒時代の最後に、輝きを見せた内外野をこなせる貴重なプレーヤーでした。
































三東洋投手(自由契約)


悲運の左腕、故障に泣き続け残念な選手だった。
益田東高校から駒沢大学、ヤマハを経て2002年ドラフト6順目で阪神タイガースに入団した。
三東と怪我との戦いは、大学時代から始まっていた。
1997年大学時代に肩と肘を故障し手術している。
速球派というよりもコンスタントに140kmを記録するストレートを左右のコーナーに緻密に投げ分けるそのコントロールに魅力があった。
一塁牽制が非常にうまく、1軍で初登板した2003年7月31日の横浜戦で牽制でランナーを刺すなど上々のデビューを飾った。
ルーキーイヤーの2003年、7月13日のフレッシュオールスターでは、2点リードの8回に登板。
一死満塁のピンチを招いて今江敏晃に走者一掃の逆転タイムリースリーベースを浴びてしまった。
当時スリーランホームランを放った喜田剛のMVPを消してしまったといわれている。
2004年8月22日のヤクルト戦でプロ初先発・初勝利。
初勝利の試合ではプロ入り初打席でタイムリーを記録した。
その後5勝無敗とチームに貢献。
絶妙なけん制球で何度も球場をわかせた。
しかし、2005年当初に肘・肩を相次いで故障。長い故障との戦いに入った。
2005年、2006年もその故障により一軍での登板がなく、ようやく故障が癒えた思われた2007年にまた悲劇が・・・
復活登板となるべきオープン戦で、その雄姿を見せ、当初は大いに期待を持たせたのだが、その試合中に再び肩を故障し致命傷となった。
故障さえなければ、力ある投手だった。
甘いマスクでファンも多く、実力を発揮できずにあまりにも残念な投手だ。
2007年10月5日球団より戦力外通告を言い渡される。
現役続行の意思はなく、ファンに惜しまれながら現役引退を表明した。
しかし、特筆すべきことは、1軍。2軍を通じ最後まで黒星を喫することはなかったことである。
再出発についてはまだ未定だという。
新たな人生でまたがんばって欲しい。






















虎戦士として貴重な時間を過ごした14人の選手たち。
その経験を基に、これからの人生にさらに栄光がもたらされることを祈ります。
ありがとう。そして頑張れ!










chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。