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BRYANの原点
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けんちゃん
2007年03月11日 16:26 visibility30
高2の春の軟式県大会の初戦、会場校であるB高校との試合。
今でこそ、僕に対してそこそこ上手い外野手のイメージをもつ人もいる。しかし、当時はバッテリー以外のポジションを本格的にやり始めて半年ぐらいだったこともあって、危なっかしい外野手だった。そんなこともあって、4割以上の打率(3割を超えるのですらチームに2人だけ)を残しながらベンチを暖めていた。
3塁のベースコーチとしてスタート。守備の間はいつでも代打に出れるように素振りをして準備。僕のする事はこのくらいだった。
1対1のまま延長16回まで進む。
16回表、2死満塁、代打として僕は打席に入った。甘い球が来たらしっかりと振ろう。それだけを考えていた。ところが、バッテリーは厳しいコースを突いてきて、打球が前に飛ばない。アウトーローのボール球を見逃して、カウント2−3となった。
フルカウントからの6球目、高めに直球が来て、僕は見逃した。
「ボール」
僕は押し出しの四球を選んで黙って一塁に歩きだした。1点勝ち越し。大きな1点だった。
尚も追加点のチャンス。打者は途中出場の先輩。真っすぐを振りぬいた打球は前進守備のレフトの頭を越えた。ボールは転々としている。一塁走者の僕も力一杯走った。ボールが内野に返る頃には僕も踏んでいて、この回の4点目が入った。
5対1と4点差で迎えた16回裏。8回途中からリリーフしていたうちのエースも9イニング目に突入していた。疲れが見えてきて、6連続四球、1点差になってしまった。ここで投手交代。こうなってしまうと立て直そうにもどうにもならない。そのまま逆転されて、サヨナラ敗けしてしまった。
こんなことってあるんだ。全員、茫然として言葉もない。僕もその後のことは憶えてない。そのぐらいショックだった。
その後の宇都宮遠征のミーティングで先生がみんなの前で言った。
「あんな場面でギリギリの球を平然と見送れるBRYANはすごい奴だと思う。お前らの仲間にはこんな奴がいるんだ。」
言われてみるとそうだ。見送った時、「ストライク投げろ。このボケッ。」とか思えたぐらい冷静だった。うちの先生、それを見抜いてたんだな。
この言葉に関しては自信になった。そして基本になった。試合には敗けたけど大きな出来事だった。
今でこそ、僕に対してそこそこ上手い外野手のイメージをもつ人もいる。しかし、当時はバッテリー以外のポジションを本格的にやり始めて半年ぐらいだったこともあって、危なっかしい外野手だった。そんなこともあって、4割以上の打率(3割を超えるのですらチームに2人だけ)を残しながらベンチを暖めていた。
3塁のベースコーチとしてスタート。守備の間はいつでも代打に出れるように素振りをして準備。僕のする事はこのくらいだった。
1対1のまま延長16回まで進む。
16回表、2死満塁、代打として僕は打席に入った。甘い球が来たらしっかりと振ろう。それだけを考えていた。ところが、バッテリーは厳しいコースを突いてきて、打球が前に飛ばない。アウトーローのボール球を見逃して、カウント2−3となった。
フルカウントからの6球目、高めに直球が来て、僕は見逃した。
「ボール」
僕は押し出しの四球を選んで黙って一塁に歩きだした。1点勝ち越し。大きな1点だった。
尚も追加点のチャンス。打者は途中出場の先輩。真っすぐを振りぬいた打球は前進守備のレフトの頭を越えた。ボールは転々としている。一塁走者の僕も力一杯走った。ボールが内野に返る頃には僕も踏んでいて、この回の4点目が入った。
5対1と4点差で迎えた16回裏。8回途中からリリーフしていたうちのエースも9イニング目に突入していた。疲れが見えてきて、6連続四球、1点差になってしまった。ここで投手交代。こうなってしまうと立て直そうにもどうにもならない。そのまま逆転されて、サヨナラ敗けしてしまった。
こんなことってあるんだ。全員、茫然として言葉もない。僕もその後のことは憶えてない。そのぐらいショックだった。
その後の宇都宮遠征のミーティングで先生がみんなの前で言った。
「あんな場面でギリギリの球を平然と見送れるBRYANはすごい奴だと思う。お前らの仲間にはこんな奴がいるんだ。」
言われてみるとそうだ。見送った時、「ストライク投げろ。このボケッ。」とか思えたぐらい冷静だった。うちの先生、それを見抜いてたんだな。
この言葉に関しては自信になった。そして基本になった。試合には敗けたけど大きな出来事だった。
- 事務局に通報しました。
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