クラシックプーの魅力♪


昨日の日記「Jリーグは30歳定年制?」では
沢山の評価・コメントを頂きました。

トップページの「評価の多い日記」に
ランクされることは滅多にないのですが…




それだけ皆さんの
関心の高さと言うか
一抹の不安と言うか…
共感される部分があったんでしょうね…




ありがとうございました。。

たまには真面目なサッカー談義もいいものです。



で、今日は180度意識転換して
ディズニーランドのプーさんの話題で
盛り上がりましたけど。。。←無理やり?



クラシックプーが好きだと
言ってましたが気になって
ちょっと調べてみました。。



今日は柄にもなく
メルヘンチックな気分でお送りします…


プーさんの歴史への旅へ
ご招待。。。


興味ある方は続いてください♪



↑写真は原作者のA・A・ミルンと←注)A・C・ミランじゃない。^^
息子クリストファーロビンと後にpooとなるテディベアの縫いぐるみ。

プーの生みの親である、アラン・アレクサンダー・ミルンは、1882年にイギリスのロンドンで、私立の男子校の校長J・V・ミルンの末息子として、生まれました。

作者のミルンは、普通の大人と違って、子どもと同じようにおもちゃと話のできる大人だったのでしょう。息子ロビンの親になったミルンはプーと共に遠い自分の幼年時代に帰ることを楽しみました。そしてそれは多くの大人たちがもっている密かな願いでした。それだけではなく、世人が思うほど感傷的な幼年時代の賛美者ではなかったミルンは、登場人物の言葉や行動のなかに、大人の自分の人生観や思想をさりげなくこめました。それらはときにかなり皮肉なものでしたが、そのために、プーの物語は子どもだけでなく、大人もその愛読者とすることに成功したと言えます。

現代の児童文学の先鋭な批評家のひとり、ピーター・ハントは、プーの物語は「複雑な男の作った複雑な作品であり、それらは子どもと大人、物語と本との関係について、われわれに多くのことを語る魅力的な言外の意味に満ちている」と評しています。

原作が生まれて80年近くたった今なお世界中で愛されるプーの魅力は、作者の魅力ともつながっているのでしょう。






1920年にクリストファーロビンが生まれ。1926年にくまのプーさんが生まれます。。


(以上・(株)求龍堂発行「クマのプーさんと魔法の森へ」クマのプーさんの魅力−猪熊葉子より引用)



↑写真はプーさんの挿絵を担当したE・H・シェパード

アーネスト・シェパードは建築家の息子としてロンドンに生まれました。彼は幼いときから優れた画才を示していました。そして、成長したアーネストは王立美術院学校で絵画を学び、のちに、ミルンの大ヒット作である「クマのプーさん」「クマのプーさんとぼく」「プー横丁にたった家」の挿絵を担当したのでした。

クマのプーさんの舞台である100エーカーの森は、ミルン家の別荘があったイギリス・イースト・サセックス州の森林「アッシュダウンフォレスト」をモデルにしており、原作にも同じ名称がいくつか登場していますが、シェパードは、この森に何度も足を運び、あちこちスケッチして歩いたと言われています。 ↓






↑原作のモデルとなった縫いぐるみたち♪
左から
プー、カンガ、ピグレット、イーヨ、ティガー




今はニューヨーク公立図書館にあります。
ルーをなくしてしまい、また
オウルとラビットのぬいぐるみは
元々ないそうです。





色々と調べてみれば
なんか奥が深いというか
歴史を感じます。。。




原作のモデルも実在人物であったり
舞台となる100エーカーの森も実在の地があり…


ディズニーとの関わりなど
紹介しきれない内容が盛りだくさんです。。


プーさんって
今でも世界で愛されているんでしょうかね〜?
いまいちピンと来ませんけど…(^_^.)

こんなオッサンでも
結構知っているということは
愛されキャラなんでしょうね〜(*^。^*)







ちょいと童心に返って
遊んでみました。。。。


もっと原作のイラストをご紹介したかったです〜(>_<)












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