日本サッカーを憂う
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ar
2006年06月30日 18:02 visibility99
ジーコジャパンが散々な結果でワールドカップから帰ってきた。
そして、早速4年後の南アフリカ大会に向けた次期監督候補の話題で
マスコミの紙面が賑わっている。
オシムか、エメ・ジャッケか、ディディエ・デシャンか。
(どうやらオシムでほぼ決定みたいだけれど)
監督の話題に加え、個人で劣る部分に蓋をする管理型のトルシエ方式
が良いのか、それとも、最後は個人なんだから選手の自主性を尊重した
ジーコ型が良いのか、という日本の目指すべきサッカーについての
議論も盛んだ。
しかし、その議論を重ねている状態こそが、日本が世界を相手に
勝てない原因なのではないか。
ヨーロッパ型、南米型というのは分かりやすい比較だけれど、
サッカーと言うスポーツは、その地域、その国によって
戦略や戦術、プレイスタイルに色が出る。
ヨーロッパの中でもイングランドとスペインでは見せるサッカーが違うし、
同じ北欧でもスウェーデンとデンマークでは全く違うサッカーをする。
そしてそのサッカーは何年も変わっていない。
ブラジルはいつもブラジルだし、オランダはいつもオランダだ。
国民が求めるサッカーがあり、そのサッカーに応えるべく監督が選ばれ、
選手が集まってくるのだろう。
世界一になった野球を見てみると、日本が世界で戦うための術を、
日本の国民が理解し、そして監督がそれを体現している。
大砲を並べるのではなく、走攻守にバランスの取れた野球。
場面によっては4番でもバントをする野球。
そこには日本人の特性を考え、勝つための野球が見える。
長い歴史の中で日本国民に刷り込まれた「日本人の」野球だ。
翻ってサッカーはどうだろう。
日本国民は日本人として日本代表にどんなサッカーをしてもらいたいのか。
好きか嫌いかではない。
自分たちが世界で戦うために持つべきサッカーはどんなものなのか。
今ひとつ見えてこないのは、大会、試合ごとに一喜一憂し、監督、選手の
ゴシップを追い続け、実りの無い情報を流し続けるマスコミに原因は
あると思うし、まだまだ「日本のサッカー」についてひとりひとりが
考えるほどサッカーが文化として根付いていないからだろう。
「日本人はどんなサッカーをすれば良いのですか?」
とアイデンティティを代表監督に教えてもらおうとしているこの状態では、
結局継ぎ足しの4年間になってしまう。
対極的な8年間を経て、これからの4年間で出さなければいけない
結論は、ワールドカップ予選の結果ではなく、
日本としてのアイデンティティが国民の中で統一されるのか、
という点ではないだろうか。
中田は「日本の良さは俊敏性と、仲間を信じて走り続ける忍耐強さ」
と言った。
偶然にも、オシムのサッカーは「考えながら走るサッカー」。
果たして国民はどう感じ、マスコミはどう伝えるのか。
楽しみな4年のスタートである。
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- 事務局に通報しました。
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