なぜリーグではないのか。

  • hiro
    2008年01月15日 04:28 visibility34

http://www.plus-blog.sportsnavi.com/naoto/article/141#comment

高校サッカーの決勝戦が行われている時、ワタシは「なぜトーナメントなのか。」という問題(正確にいえば「なぜリーグ戦ではないのか」)を提起した上記の文章を思い出した。
書かれたのはバルセロナでユースコーチをしている村松尚登さん。
以前フジテレビの番組にちらりと出たこともあるので、ご存知の方もいると思う。

詳しくは村松さん自身の文章を読んでいただきたいが、主張の趣旨は、経験できる試合数が少ないトーナメントよりも、試合数が多いリーグ戦の方が、時間的に長く、そして多くの選手が多くプレーでき、プレイヤー全員が幸福になれるのではないか。それによって国全体のレベルが上がるのではないか、ということ。

サッカーに限らず、高校野球でも、大会はトーナメント制で行われるし、その他学生のうちに関わるほとんどすべてのスポーツはトーナメント制だ。
弱いチームは一試合で終わってしまうし、大会自体が少ないので、公式戦と呼ばれるものは年に2,3しかないということもざらだろう。
さらに補欠だった場合、チームに所属していながら中学校や高校時代の数年間、一回も試合に出られずに終わってしまうということだってよくあることだと思う(補欠であれば、チームが強かろうと弱かろうと関係なくプレー時間は少ない)。

ベンチ入りできずスタンドで応援する選手たちは応援団ではない。サッカーをしたくてサッカー部に入った選手たちだ。それなのに、プレーできないのは村松さんの言葉を借りれば、「損」だ。
試合に出られないのに練習には出る、という本末転倒な事態は非常に多くの選手の身に起こっている。

スポーツをしたくてチームに入った以上、より長くプレーするのが選手たちにとって一番の願いだ。
それなのに、本当に長くプレーできる選手はごく一握りでしかない。
不幸な選手をより多く生み出してしまうトーナメント制より、リーグ戦の方がよりよいのではないだろうか。

負ければ終わり、という悲壮感。
プレーできなくてもチームを応援する、という気概。
そういった思いを重ね合わせれば心は動く。
だがそれは見る側の論理ではないのか。

プレーしたい選手がプレーできるようにすることが、スポーツの発展にとって最も重要なことだろう。
村松さんが書いているように、100人選手がいるのに11人しかピッチに立てない、という現状はスポーツにとって、なにより選手にとってあまりに残酷な状況だ。

ワタシは中学校時代弱小バスケットボール部に入っていた。
身長に恵まれているため、2年生ごろから公式戦に出られるようにもなり、3年生の頃はずっと「出られる側」だった。
それでも1年生の頃は練習だけ。練習をできるようになったのだって、入部後すぐではない。
最初の頃はゴール下でボール拾いしかしていなかった。

いや、ワタシはまだいい方なのだ。
同級生にワタシと毎日練習に行った選手がいたが、ワタシの方がちょっと背が高く、それで試合に出られるためシュートがうまくなっていったので、彼は結局ほとんど公式戦に出られなかった。
3年生の最後の試合が終わった後、母から「出られなくても頑張って一緒に練習してくれた人に感謝しなさい。」と言われ、後日お礼をしたのは覚えているが、
当時彼のプレーしたいという思いは今のようには理解できていなかった。

試合には出られないのに、練習はする。そんな不幸なことはない。
なぜ彼のような選手が日本中にいなければならないのか。
みんなで考えていかなければいけない問題だ。
リーグ戦実現のための場所、といった物理的問題をはじめ、さまざまな課題があるが、理想論として片付けず、いろいろな意見が出てほしい。

ここでは、ラボーラの皆さんから、リーグとトーナメント、という問題に何か感じてくださった思いや、こうすればいいのではないか、という発想、ご意見を聞いてみたいと思い、日記としました。
できるだけ多くの方の声を聞いてみたいと思っていますので、今回はできれば評価とともにコメントを多く頂きたく思います。
お時間のあるときにコメントを寄せていただければ幸いです。

chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。