親父の一周忌

月日が経つのは早いもので、8月6日はウチの親父が亡くなってから一年になります・・・

親父が亡くなる前後の出来事です、自分の思い出話なのと、長文になりますので、興味が無い方はご注意下さい‼m(._.)m

去年の今頃は会社終わりに、毎日お見舞いに行き、病院が閉まるまで付き添い等をしてバタバタしていました・・・

6月末の月曜日に二泊三日の抗ガン剤治療の目的で、父の日に贈った派手めなアロハシャツに短パン、親父のトレードマークのベレー帽と簡単な軽装で病院まで自分で歩いて行き入院しました・・・

親父の最終的な病名は脳腫瘍でしたが、仕事をリタイアした原因は肺ガンで、リタイア後に即手術⇒その時点で肺ガンは完治で⇒一年後に胃ガンが発覚⇒胃を全摘出⇒手術成功‼⇒その翌年、脳腫瘍発見⇒ガンマナイフ治療⇒大きな腫瘍は縮小して成功‼⇒しかし再検査で脳に砂を振り掛けたような小さな腫瘍が発覚して⇒最後になった抗ガン剤治療の入院となりました。

この抗ガン剤治療が体に合わない為に、入院を少し延ばす事になりました‼

本人は自宅に帰りたいらしく、看護師に『帰りたいから、いつ退院できる?』としきりに聞いていましたが、脳腫瘍の影響で急速に耳が遠くなりだし、7月中頃にはごく稀な症状らしいのですが脳腫瘍が脊髄を通り神経が圧迫され足が麻痺しだし、トイレに行った時に転倒、肋骨にヒビが入る怪我をしてしまい、そのまま寝たきり状態に・・・

入院部屋は四人部屋の左奥でした、母親は体格が肥り気味なので通路の広い方に、自分は狭いカーテン側へ付いてました、親父の耳は右側が多少聞こえ、左側は全くの状態で・・・、耳の側で話さないと通じない状態で筆談を交えての会話でした、自分の話は聞こえるが、母親の話しが聞こえにくいのでよく文句を言ってました・・・、入院するまでは自由になっていた体が動かなくなり、ストレスを母親に当たるしかなかったようで・・・、母親はそれを知ってか『ハイハイ‼わかりました』と聞き流していました‼
看護師にも辛く当たっていたようで・・・、御迷惑をおかけしました‼


入院一週間ほど前に実家へ所用で行った時に、庭木の剪定をしていた父親と手伝いをしていた母親、それを邪魔しに行ったような長男の自分・・・(苦笑)
縁側でお茶を飲みながら3人で話した時間が忘れられません・・・

親父『も~今回はダメだろう・・・』
自分、母親『はぁ?何が⁇』
親父『頭だからな~、切れん所にあるから治らんだろぅ・・』
自分『あんた、そんな事を言ってると本当に治らんようになるよ‼』
母親『そ~縁起でもない‼あんたが死ぬわけないやろ‼殺しても死なない男なのに(笑)』
親父『・・・、庭木の剪定をしとかないと、する奴がおらんからな~‼お前(俺の事)はせんし・・・』
自分『まぁな(苦笑)しかし無理して今やらんでも・・・、帰ってからやればえ~やんか⁇』
母親『それいね‼無理してやって落ちて怪我をしたら、退院できんくなるよ』
親父『ん~、途中までやっとくかな・・・』
親父はまた剪定を始めました‼
あの時が自宅で親子3人でお茶を飲んだのは最後でした・・・

入院して日に日悪くなる親父でも、食べたい物があるので、自分が売店やスーパーまでアイスやガムなどをよく買い出しにいってました‼
8月になると全く食欲が無くなり、体力がガタ落ちしまし、8月2日は自分の誕生日だったので、ケーキとプリンを買って持って行きました、『ケーキにはコーヒーやろ⁇』と言われ、自販機でカップコーヒーを購入、『うん‼良く合う‼』と言って二口ほどで止めました、口内炎ができていて固形物が食べれる状態ではなかったようです‼プリンは次の日に行ったら食べてました‼

8月4日の仕事終わりの晩に家族でお見舞いに行くと、いつもと様子がおかしい感じで・・・、体が弱ると言って急に体を鍛えだしたりし、ベットを起こして『大丈夫、起き上がれる』『車椅子を持って来てくれ』と言い出し、自分と弟を両脇に呼ぶと『抱えて家に連れて帰ってくれ‼』と、自分で起き上がろうとしだし、自分が止めると『家に連れて帰ってくれ、○○のおばちゃんの家で良いから、ダメなら友達の○○を呼んでくれ、連れて帰ってもらうから呼んでくれ‼』と、今までに無い行動をとりだし、自分も見舞いに来ていた家族も驚きました‼
親父を何とか落ち着かせ帰る事に『また明日来るから』と親父に耳元で話しかけると、小さな声で『もう帰るんか?うん、また明日な・・・』と一言返事が帰って来ました・・・、今思えば最後の会話だったかな・・・

8月5日いつものように会社へ出社‼
社長(叔父)と昨日の話をしていると、病院から電話が掛かり『容体が悪いので、こ家族の方は病院へいらして下さい』と連絡が入り、弟の会社へ連絡⇒即帰宅し⇒家族と病院へ‼
午前9時過ぎ病院に駆け付けると、親父のベットはナースステーション横に移動していました、苦しそうな親父を見ると涙が流れ、耳元で話しかけると、何とかうなずいて返事を返してくれました‼婦長さんから『残りの家族にも連絡して下さい』と、言われ東京の姉に電話、電話に出たのは姪っ子で、自分が『爺ちゃんに話し掛けてみて』と、親父の電話を耳元に近づけると、『うん、うん・・』と、親父は返事をしながら涙を流しました、自分も携帯を持ちながら涙が止まりませんでした・・・

家族が駆け付けたナースステーションでは狭いので、使用していない4人部屋に移してもらい、親父を見守る事に・・・

ベットて息苦しい様子の親父をみんなで見守りました

祖母や、親父の叔母さん、親父の小学生からの友人3人などが、お見舞いに駆け付けました
昔実家の隣りで散髪屋をしていた、親父の世話になった叔母さんが話掛けると『うん・・』と返事をしていました‼
親父の60数年来の友人は『カンちゃん(親父のアダ名)早く良くなって、またみんなで一緒に温泉に行くよ‼わかった?』耳元で話しかけると、『うん、うん・・・』と、返事をしながら涙を流した親父・・・、見守る自分は泣くしかなかったです・・・

親父の意識が段々薄くなって来た夕方に、東京から姉と子供が帰郷、親父を見舞いに、ベットの横で親父に話しかけると、わかった様子でかすかに反応しうなずきました‼

病院の消灯時間を過ぎたので、一旦母親、嫁と姉、弟、子供達を実家に連れて帰る事に、自分が1人病院に残りました、この頃には意識が無い状態で・・・

10時過ぎに弟が病院へ戻って来ました、この頃、弟の嫁も出産の為に大事をとって3ヶ月前の5月位から入院をしていました、弟も仕事終わりに親父と嫁の病院を行き来し大変だったと思います‼

その後、母親や姉、子供達が病院へ・・・、0時を過ぎた頃から容態が悪化・・・、家族全員が見守る中で親父は息を引き取りました・・・、とにかく涙が止まらなく流れ、抑えられませんでした。
病室に主治医が来て死亡確認が行われ、別室にて話があり、その間に処置が行われていました‼
時間は午前3時を過ぎてました、主治医の話も終わり、夜中のエレベーター出入り口前の窓から親父の眠る電気の付いた病室を自分は1人で眺めてました・・・
その時自分の頭上方面から、親父が帰りたがっていた実家に向け、流れ星が一つ流れて行きました‼(本当に実話です)直後に看護師さんから処置が終わったと連絡があり、ビックリして母親に話すと『家が好きだったから早く帰りたかったやね~』と・・・(涙)

葬儀会場が決まるまで葬儀屋さんに一度、親父を自宅まで運んでもらう事に、自分は実家に変える前に近所のコンビニに寄り、親父が肺ガンで吸えなくなったタバコと、好きだったビールを買って帰宅、葬儀屋さんが仏壇前に寝かし、缶ビールとタバコを枕元へ置きました、親父の顔はその時本当に笑ってました(これも本当に実話)、母親、弟とビックリしました‼親父は自宅へ帰れて嬉しかったのでしょう(涙)

葬儀会場で入院の時に着て行った、お気に入りのアロハシャツを着せてもらい、その胸元にタバコを差し込みました・・・、幼少から見てきたタバコを離さない親父の姿でした(涙)

お通夜も無事に終わり、翌日葬儀へ・・・

葬儀屋さんから『親戚か友人に故人を送るスピーチを頼んで下さい』と言われ、親父の弟さんに頼もうかと思いましたが、自分の結婚式でもして頂いたスピーチが上手い親父の友人に頼む事に、急なお願いにも引き受けて頂きました、そして素晴らしいスピーチをして頂き、家族全員涙が止まりませんでした‼

そして出棺へ、火葬場までは約10分ほど、親父を含めた親子4人で霊柩車へ・・・
霊柩車がプリウスでした・・・
プリウスはやはり静かでした・・・

火葬場に入り、最後に炉の扉が閉まる時は寂しいかったです

初七日法要も無事に終わり実家へ帰り、庭を見ると親父が剪定する為に組んだ脚立と足場板が・・・、嫁が『危ないし片付けたら?子供もいるし』と言ってきました、自分も『うん・・・』と答えましたが、ナゼか片付けられませんでした・・・

なかなか片づけられなかった脚立を、年末に母親の頼んだ剪定業者の人が片づけてくれてました・・・、そのままにしていてもよかったのに・・・

数年前の従姉妹の結婚式で母親と一緒に撮った写真が遺影に使われてます・・・、その時親父自ら『俺の遺影用の写真になるだろ?(笑)』と、笑って撮った写真です‼遺影を選ぶ時に母親、兄弟の満場一致で決まりました‼

実家に帰ると、親父はいつもこの写真の中で笑ってます。

終わり・・・。

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