野球劣等生の野球人生

  • N監督
    2021年03月10日 16:57 visibility249

小学2年生のころ僕は野球を始めました。

理由は、

よくある話で兄弟が野球をしていたこと。

記憶もおぼろげな時に父に朝野球につれていかれたこと。

同級生の幼馴染が野球をやっていたこと。

がきっかけ。

 

私の地元はスポーツと言えば野球となるような田舎だった。

私の目標は大きな理由はないが体力をつけたいが第一目標。

時は平成になったばかりの時代。

学校が終わればスポ少。休みの日もスポ少。

冗談ではなく365日活動をしていた。休みは盆と正月ぐらい。

 

少し嫌気がさした私はとにかくサボった。

練習に行っても、キャッチボールのあとは上級生のバティングの球拾いや、ランナー役、声出し(意味あるのか未だに不明)だったから。

いま、考えると野球をやらせてもらえなかったからつまらなかったのだと思う。

 

中学年、高学年へ上がるにしたがって練習に混ぜて貰えるようになると、今度は

野球のセンスがあるやつが、試合に出るようになるのだが、

私は運動神経が悪いわけではないが、足が遅い、力が弱い、キャッチングも普通といった

一般レベルから少し見劣りするレベルの選手だった。

 

これには少し言い訳が入るが、バティング練習などは15球と決めて練習に入るのだが、うまいと言われる奴らは平気で30~40球打ち続ける。

まじめだった俺は15球でやめる。

少年野球のバティング練習なんてものは、基本5球に1球ストライクがくればましな方。

その辺が、大きく差がついた原因だと思う。

今考えれば、もっと図々しくやるべきだったなとは思う。

 

ただ、野球劣等生だった僕がいたチームは僕が選手となった6年生の時は県内でも上位のチームとなった。

県大会は2度優勝し、地区大会でも負けは無しのチームでプレーすることができた。

なにかチームに貢献したかと言われれば、何とも言えないが(笑)

チャンスで何度かヒットを打ったし、スクイズも送りバントもほぼ失敗なくこなした記憶はある。

 

バントや守備が好きになったのは、この時期のイメージが強く残っていると思う。

 

ただ、野球劣等生だった僕は背番号7番でファーストを守っていた。

いろいろ事情はあったのだが、一番はレフトを守っていてフライが苦手だったからだ。

というのも、5年生の時、監督さんがお前はファーストに向いているからノックの時に捕球側に回していると言われ(本当の意図はわからない)それを鵜呑みにして人の投げる球を一生懸命取る練習をした。

だが、5年生の終わりになぜか外野に回された。

ちょっと重点的に練習させてくれればよかったのだが、そのようなこともせずに守ったもんだからいまいち馴染まなかった。今なら、多少は守れます(笑)

見かねたメンバーの意見によりポジションが変わり7番のままファーストを守った経緯。

 

今回は小学校の話をしてみた。

今度は中学校の話や高校の話もしてみたいと思っている。

 

 

野球劣等生だった

僕は、当時自分より野球がうまく

野球が好きでやっていたメンバーより長く野球をやっている。

 

最終的に何が言いたいかまとめられないが、こんな俺でも続けられた野球というスポーツは

素晴らしいのかなって最近はよく思います。

 

 

今後も野球を通じいろいろな人と関わっていきたいなと思います。

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