☆“読売巨人軍初Vの原点の地”
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鶴丸 深志’
2011年05月29日 15:22 visibility2309
わたしは表参道にて大規模な駐車場経営をしておりますが、№9の駐車場だけがいつも空いていて困っています。原因は何かいろいろと調査しました。その結果、やっと原因が判明しました。車は「急に」止まれないのです。
皆様御機嫌如何でしょうか?歴戦の雄です。
さて、本題です。
前述の巨人軍発祥の地である習志野市谷津に続き、巨人ファン並びに消えた球場ファンなら訪ねてみたい場所がもう一つあります。
群馬県の南東部に人口約78,000人の館林市があります。館林には、童話ぶんぶく茶釜ゆかりの寺として知られる茂林寺があります。
その茂林寺から東武伊勢崎線を挟んだ反対側の線路沿いに、分福球場があったようです。
この分福球場は“茂林寺球場”とも通称され、昭和初期に建てられた球場で、プロ野球創生期には公式試合も行われたようです。1936年(昭和11年)に、東京巨人軍が分福球場でキャンプを行い、藤本定義監督以下選手20名が残暑厳しい9月に「血ヘドを吐く」とまで形容された猛練習を行い、これが巨人軍の基礎を作ったと言われております。
その後、分福球場は学校法人関東学園に売却され、1974(昭和54)年に同学園の分福総合グラウンドとなり、現在は球場の面影は残っていません。
学校法人関東学園は、群馬県内で「関学」と略される関東学園大付属高校も運営しており、その関東学園大付属は春の選抜に1度だけ出場し、通算成績は0勝1敗です。
以下、館林駅前ロータリーにある碑文をご紹介いたします。
巨人軍栄光の初V
不屈のG魂誕生の地
分福球場
巨人軍初Vの原点「分福球場」
巨人軍の球史に燦然と輝く伝統の球場が、館林駅から一つ南の茂林寺駅前の西側にあった。昭和十一年九月五日からの秋季キャンプは血のにじむ地獄のキャンプと言われ「暁の千本ノック」で徹底的に選手を鍛え直し、巨人軍初Vの原点となった「球場」として、いまも語り継がれている。七十三年前、巨人軍の歴史に一度だけ強烈に登場し、今は完全に姿を消した、伝説とロマンの「分福球場」を館林市民として後世に語り継ぐことは多くの野球少年に夢と希望を与えるものである。ここに読売巨人軍七十五周年を記念し、当時の巨人軍選手の偉業を讃え、記念碑を建立する。
ときの市民有志これを建つ
以上です。
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