☆ 祝 プロ初勝利わず。
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鶴丸 深志’
2011年06月11日 08:54 visibility212
わたしのプロ野球の情報源といえば、ラボーラである。
先日、ある方の日記で、横浜の須田幸太投手がプロ初勝利を挙げたという記事を拝見した。
過去の日記でも記述しましたが、個人的には須田幸太投手に思い入れがある。というのも、高校時代の彼が秋の県大会と関東大会の試合で好投する姿を生観戦したからだ。
居ても立っても居られず、先日納車されたばかりの白いクーペに乗り込んだ。
向かった先は、茨城県の南部に位置する人口約143,000人の土浦市である。
そこには須田投手の出身校で、野球部創部は1983年(昭和58年)、2004年(平成16年)の第76回選抜高等学校野球大会に1度だけ出場し、甲子園通算成績が0勝1敗の土浦湖北高校がある。
須田投手は、小学校1年生で野球を始め、6年生の時には関東大会に出場し内野手としてプレーした。中学時代は、サードを守るも2年生で投手に転向。
土浦湖北高校に入学すると1年生の秋からエースとして試合に登板、2年生の秋季茨城大会では、準々決勝で巨人の東野投手にも投げ勝ち見事に優勝し、関東大会でも強豪校を次々と破って初優勝を果たした。
3年生となった2004年の選抜では肘痛をおして出場したが、初戦で優勝した済美高校と対戦、福井投手(広島)と投げ合い11奪三振を奪うも、9四死球と制球に苦しみ9失点で敗退した。
夏は県大会の3回戦で敗退した。
早稲田大学に進学すると、1年生2年生では登板機会が少なかったが、3年春にエースナンバーの背番号11を背負って斎藤佑樹と先発2本柱となり、3勝1敗を挙げ優勝に導いた。大学4年の2008年春には最優秀防御率のタイトルを獲得。
大学卒業後はJFE東日本に入社し、エースとして活躍。2009年の都市対抗野球では自チームでの出場は逃したものの、ホンダに補強選手として選ばれ、抑えとして5試合中4試合に登板して胴上げ投手となり、若獅子賞を獲得した。
また翌2010年の都市対抗野球では自チームで出場、チームをベスト8入りに導いた。
須田投手には横浜のエースになってもらいたいと切に願っています。
最後に、せっかく茨城まで行ったので、茨城言葉の代表例を挙げておきます。
日本語に翻訳するとどんな意味になるか、皆さんはいくつ分かりましたか?
① ごじゃっぺ
② いしけー
③ あおなじみ
④ かっぽる
⑤ こわい
以上です。
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- 事務局に通報しました。
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