☆夏の地方予選で優勝したのに、甲子園に出場できなかった学校があると思いますか?
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鶴丸 深志’
2011年11月22日 00:00 visibility14644
これまでに、春の選抜大会の出場権を得たにもかかわらず、諸事情により出場を辞退した学校は下記の通り12回、11校あると一般的には言われています。
1935年春・第12回大会 浪華商(大阪)
1952年春・第24回大会 門司東(福岡)
1958年春・第30回大会 浪華商(大阪)
1965年春・第37回大会 高知商(高知)
1967年春・第39回大会 津山商(岡山)
1971年春・第43回大会 北海(北海道)
1975年春・第47回大会 門司工(福岡)
1984年春・第56回大会 函館大有斗(北海道)
1987年春・第59回大会 東海大浦安(千葉)
1992年春・第64回大会 神戸弘陵(兵庫)
2000年春・第72回大会 敦賀気比(福井)
2006年春・第78回大会 駒大苫小牧(北海道)
この中で、門司東と津山商の2校は、出場権を手にしたのが後にも先にもこの時だけなので、何とも惜しいことをしたなと言うように思います。
出場辞退の理由も、門司東は甲子園出場の13人に期末テストを免除した為、津山商は当時食中毒に見舞われながらも必死に戦って栄冠をつかんだが、応援団の不祥事の為に辞退となりました。
直接的には部員には責任がないのに、出場を諦めなければならない選手の気持ちを思うと胸が痛くなります。
一方、夏の選手権大会では代表決定から本大会までの間隔が短いこともあり、代表決定後に出場を辞退するケースはほとんどなく、一般的には4回だと考えられています。
1922年夏・第8回大会 新潟商(新潟)
1939年夏・第25回大会 帝京商(東京)
1939年夏・第25回大会 日大三(東京)
2005年夏・第87回大会 明徳義塾(高知)
夏の最初の辞退校は、新潟商で、出発直前に数人の選手が病気で倒れてチーム編成が出来ず、やむなく棄権を申し出ました。代理校に長岡中を出場させようという案も出たが、大会直前のことで、今から通知しても開催に間に合わないだろうという事で、結局代理なしの1校減の16校のままでの本大会開催となりました。
2回目は、帝京商(現・帝京大高、帝京高校ではありません)が日大三中を9‐6で破って優勝したが、日大三中より登録のない選手が出場しているとクレームがあり、帝京商は規則違反で失格となり、その日大三中も選手資格に触れる人がいたようで辞退し、3位校だった早稲田実が代表校となりました。
3回目は、まだ記憶に新しい明徳義塾であります。
今回は、1939年(昭和14年)の東京代表校が2回も変わったことについて少々触れてみたいと言うように思います。
1939年の第25回東京大会は、決勝で帝京商が日大三中を下し、初の東京代表の座をつかんだ。
しかし、帝京商は選手登録をしていない選手、しかも高等小学校(中等学校の一つ下)の選手にユニフォームを着せて、ベンチ入りさせていたことが発覚した。これにより帝京商は代表を辞退し、一旦は準優勝の日大三中が東京代表権を得た。
ところが、日大三中も選手資格にふれる選手が出場しており、同じような違反なので、日大三中も辞退せざるを得ず、結局、準決勝で帝京商に敗れた早稲田実が東京代表として甲子園に出場した。
余談ですが、夏の地方大会優勝回数より夏の甲子園大会出場回数の方が多いのは、早稲田実業と高知高校であると一般的には考えられます。
本題に戻りますが、このとき、帝京商のベンチに入っていた高等小学校の選手は、のちに中日で活躍しフォークボールを初めて投げた杉下茂であった。
また、1941年夏の第27回東京大会でも優勝したが、戦局悪化のために夏の甲子園大会は中止となった。
さらには、帝京商工時代の1969年に秋の東京大会で準優勝(優勝は日大三)し、東京都高野連は翌春の第42回選抜大会の選考にあたり日大三と帝京商工を推薦したが、帝京商工が火災で野球部の資料を焼失したため、選考委員会は戦力分析が十分にできないとして選考から外した。
その後も、夏の東京大会で3度決勝に進出するも、あと一歩のところで甲子園の夢が絶たれた。
このように、帝京大高は気の毒なほど甲子園に縁がなかったと言うように思います。その後、悲願成就することなく、1989年(平成元年)に硬式野球部が廃止されました。
これで、完全に甲子園出場の夢は途絶えたと思われましたが、2008年に野球部が再結成されました。
個人的には、帝京大高校は是非とも甲子園出場してもらいたい学校のひとつであると言うように思います。
帝京大高は東京都八王子市(上柚木公園球場の近く←)にあり、帝京商時代の1936年(昭和11年)第22回夏の東京大会に初参加、東京大会での初勝利は翌1937年で高輪中を5‐2で破り、夏の東京大会通算成績は107勝42敗、優勝2回、準優勝3回、4強が5回、8強が4回で、夏の地方予選で2度も優勝しながら、甲子園出場を果たしていない全国でも例のない学校であると考えられます。
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