☆甲子園優勝校をめぐる旅~茨城県勢初の優勝校~







茨城県南部に位置し、利根川を挟んで千葉県と隣接する人口約11万人の取手市に、取手二高があります。






 


取手二は、春の選抜に2回、夏の選手権に4回出場し、甲子園通算成績は8勝5敗です。


 



取手二といえば、高校野球史上最大のスターといえるKKコンビを擁したPL学園に、夏の甲子園大会においては唯一黒星をつけたチームである。



1984年(昭和59年)の夏、名将・木内幸男監督(現・常総学院監督)率いる取手二は、初戦で優勝候補の一角であった箕島、続く3回戦では福岡大大濠を破り、茨城県勢として夏の大会では初となるベスト8進出を果し、準々決勝では鹿児島商工(現・樟南)、準決勝では鎮西を破り、4試合で38得点の猛打で決勝進出を果した。
決勝では、2年生の清原和博、桑田真澄を擁する前回大会の覇者であるPL学園との対決となった。4-4のまま延長戦となり、迎えた10回表、桑田が投じた高めのボール球を中島が見事な大根切りで決勝3ランを放つなど4点を奪い、8-4で見事に優勝を飾った。これは同時に茨城県勢として初となる全国制覇であった。



裏話として、常磐線の 取手~勝田 間の切符を購入し、「取手二勝った」と縁担ぎをしていたようである。(JoePaPaさまやや笑?)


 



ただ、取手二にとっては日本一に輝いた1984年の夏が「最後の甲子園」となっている。
翌年、木内監督が開校間もない常総学院に新天地を求めると、全国王者は低迷した。春秋の県大会で上位進出することはおろか、1986年春を最後に県大会で1勝もできなくなっていた。低迷したチームは深刻な部員不足にも悩まされ、廃部寸前に追い込まれた時期もあり、高校野球ファンの記憶からも「取手二」の名は消えかけていた。


 



しかし、かつての名門はこの1年で劇的な復活を遂げた。
昨年夏、同じ市内対決となった取手一を4-1で破り8年ぶりの夏1勝をあげると、新チームとして迎えた秋季県大会では伊奈を6-2で下し、秋大では24年ぶりとなる勝利をあげた。
そして、今春の県大会は初戦で第2シードの波崎柳川を8-6で破り、その勢いに乗って下妻一、藤代と下しての4位に入り、全国制覇した1984年以来26年ぶりとなる関東大会進出(開催地が茨城のため4校出場)を果たした。これからも、スカイブルーのユニフォームの取手二には活躍を期待したい。



 


 


 


最後に、優勝した時の取手二のエースであった石田文樹投手は、2008年7月15日に41歳の若さでお亡くなりになった。
そのご子息である翔太選手は、高校時代は神奈川の川和高校のエースとして活躍し、現在は早稲田大学準硬式野球部で背番号「18」を付けて活躍しているようである。
取手二時代の石田文樹投手は生で観たことがあるので、機会があれば翔太投手も一度観てみたいものだ。



 


 


 


 


 


 


以上です。



 



























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