2016.7.27. (非野球) ポケモンGO元年によせて

  • Miya
    2016年07月27日 13:26 visibility303

3日坊主どころか2日も続いたこともない根気のない私が、

もう何年も前から熱心に友人から「散歩の良さ」を説かれ、
「健康に良い」「発想の源」と勧められているのにもかかわらずに実行できずにいた。
7月3日から10日までインドネシアは長期休暇であったが一時帰国、旅行をせず、
ずっと自宅にこもりっきりになる環境に自分を追い込み、だからこそ自分は「散歩」をせざる得なくなるはずだと思っていた。
しかし、それほどの状況証拠を整えたところで、私は実際その間でたった一回散歩をしただけで止めた。それでもう二度と再びしようという気は起きなかった。
「暑い」「面倒くさい」・・・理由はいくらでもある。

ところが現在は5日連続で散歩に出かけている。
どうしたことか。
5−10分歩いて目的地に着きたら10分その場で過ごして帰宅する。
それだけでいい、この手軽さがさほどの苦痛ならない原因のようだ。

えてして人間は怠けものであるが、それを前提にせずに物事を決めすぎる。
怠け者は思考力も脆弱だから健常人よりもその傾向は強いかもしれぬ。
インドネシア語、英語など語学の習い事からギター、ドラムの趣味に至るまで、
自分がどれだけ根気もやる気もない人間なのかきっちりと証明するだけだった。
はたまた自宅にいくつもの本棚を埋め尽くしている膨大な書籍も買うだけで一切読まず。
どれだけ実行力がないのか、意欲は一瞬で消え、行動は三歩で萎える。
その代わりに何をしているのかと言えばネット。何時間でも飽きもせずにネットだけ。
最近通うようになった整体で「こんなにひどい肩凝りは初めて!」と驚かれた。
それはつまりそれ。たしかにこの数年間肩は凝り固まってもはや指も入っていかない。
出不精で面倒くさがりな人間に、PCと快適なWiFi環境を与えるべからず。
かくして人生の7割以上はネットとなり、実存の肉体は凝固して身動きすらまともに動作しなくなる。

そんな自分が自らの習性を見切って禁じたことが2つある。
一つは「禁煙」。かつては誰よりもヘビースモーカーであり、一日中ひたすら喫煙し続ける合間に仕事や食事があったようと思う。肺器官の異常を自覚して停止した。
もう一つは「ゲーム」。大好きな「三国志」で実存する友人を登録武将として配下に従えて闘うのが好きだった。徹夜も辞さずに連続プレイするうちに「もはや、実生活に戻るかどうか」という選択を迫られて「永久にゲームオーバー」とした。
とにかく一度夢中になったら止まらない。そういう性質が根底に流れている。

ポケモンGOの話を聞き、楽しそうだなとは思う。
そこまでゲームは発展したのかと感心する。
しかし、自分はもう創られた世界で遊ぶことは止めたのだ。
どうせなら自分はゲームを制作する側になりたかった。いや間違いなくその側の人間であるはずなのだ。
今こうしてそうでない人生を生きているのが完全に間違っていると思う。
だからやらない。
口惜しいから。
決して関わることなく、ポケモンGOが騒動がないところで静かに暮らして行こう。

散歩は短い時間なら何も辛くはない。
黄色い街路灯を見て、「こんな色だったのか」と驚き、外気に触れて清々しさを肌で感じたり、メインストリートで車を避けながら横断し、「信号機が欲しい」と考える。
そんな人として生きていることを実感できるのが良い。
2016年のインドネシアに実際自分は生きていたのだとようやく思えるようになった。

外は良い風が吹いている。
それを知らずに室内のネットだけで人生を過ごすのはあまりに良くない。
これからも近所を散歩しよう。
他人が生きている風景を覗き見て驚けばいい。
自分のポケットにコインしかないことを嘆き、帰り道にパンさえ買えないと愚痴る。
こんな自分でも、これから人として生きて行くことができるようになるかもしれない。
散歩で自信がつき、もしかして根気や行動力が備わるかもしれない。
世界が変わる。その可能性は散歩にあって、ネットやゲームには決してないのだ。

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