善因善果-悪因悪果

人は何か良い事、ラッキーなことがあると”普段の心がけが良かったから”とか、逆に不運が続くと”心掛けが悪かったからでは”などと考えがちです。

これは”善因善果-悪因悪果”の考え方ですが、実際それが事実であるよりは、そうあって欲しいと我々は希望しているのではないでしょうか?

三浦綾子の小説の多くでは、非の打ち所の無い、純粋無垢な人間が、何故こんなにも不運に会わなくてはならぬのかという場面がこれでもかこれでもかというように出てくるのです。

”海嶺”における音吉達3名しかり、千利休の娘おぎんや後妻おりき、”泥流地帯”の拓一、”天北原野”の貴乃、孝介、ガラシャ夫人と初之介等々-----数え上げればキリが無いのです。

ここ数十年の日本ではこのような人々は比較的忘れられているような感じもしますが、これが”決して善因善果-悪因悪果ではない現実”に近い世の中であるかと思います。

chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。