ウクライナ紛争、地下壕に身を潜めるドネツクの子どもたち
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2015年02月17日 09:53 visibility275
【ドネツクAFP=時事】10歳のアルチョーム君は、近所に砲撃の音が近づくと遊んでいた公園から地下壕(ごう)に逃げた。ウクライナ東部の親露派支配地に住む他の子どもたちと同じように。
親露派支配地域の中心都市ドネツクに住むアルチョーム君は、爆音が鳴り響くたびすぐに祖母のリュドミラ・タラソワさんに腕をつかまれ、アパートのそばにある地下の避難所へと走る。(写真はドネツクの地下壕(ごう)で、自分で描いた絵を貼った壁の前でポーズを取るアルチョーム君)
政府軍と親露派の戦闘が激化したため、アルチョーム君とリュドミラさんは生き延びるために、10日ほど前からほとんど地下壕に住んでいるような状態を余儀なくされているという。
「たまには新鮮な空気を吸いに外へ出なきゃならないけど、あまり長く遊んでいられないんです」毛糸の帽子から黒く大きな瞳をのぞかせたアルチョーム君は、AFPの記者にそう語った。
かつて工業都市として繁栄し100万人が暮らしていたドネツクだが、今ここに住む子どもたちの顔は妙に青白く、その目はどこか遠くを見つめている。
戦闘が10か月も続く中、学校のベルは迫撃砲の着弾音に取って代わられ、静けさと砲声の中で過ぎていく日々の中で子どもたちは恐怖心や退屈と戦っている。
国連児童基金(ユニセフ)は、現在ドネツクで約1000人の子どもたちがしばしば地下壕に避難する生活を強いられていると推定している。
■「友達はいなくなった」
アルチョーム君と祖母が避難するのは、コンクリートの壁と厚い鉄のドアがあるソビエト連邦時代に作られた洞窟のような地下壕だ。他に2人の子どもを含む40人が利用している。
アルチョーム君は単調な声で「友達はほとんどいなくなっちゃった」とつぶやいた。今はソフィアとラダという名の5歳ほど年下の双子の女の子と、合わせのベッドの間でかくれんぼをして遊ぶことが多い。
「絵を描くのが好きなんです」とアルチョーム君は言う。車や好きなサッカーチームのロゴ、人々、地球の絵。しかし、壁に貼られているのは戦車や重砲、ミサイルの絵ばかりだ。
ひざまずく3人の政府軍兵士の前に立っている親露派戦闘員の写真もあった。「爆弾を落としてごめんなさい」「もうしません」「約束します」という政府軍兵士のせりふが書かれている。
幼いソフィアちゃんもお絵描きが大好きだ。「ポニーの絵でしょ、それから私のベッド」。夢中になって絵に色を塗っていたソフィアちゃんは祖母に促されるとロシアのウラジーミル・プーチン大統領をたたえる歌を歌った。「大きくなったら絵描きさんになりたいの」とソフィアちゃんは言う。
■「宿題をするのはバカンスのよう」
ドネツク西部のペトロフスキー地区に住む11歳のアーニャさんと3歳のオレーシャちゃんの姉妹が地下壕の外に出ることはめったにない。戦闘の前線から約2キロしか離れていないこの地区にはよく砲弾が落ちてくる。
「ドアの外に出るくらいで、それより遠くには行きません」。赤いジャケットを着たアーニャさんはそう話す。3メートル程先にある倒れた送電鉄塔が、どれほど近くにまで危険が迫ったか物語っている。
「夜中に近くで爆発があると、びっくりして起きちゃうんです」とアーニャさんは言う。しかし姉妹の祖母は、子どもたちは戦闘に慣れて、もう泣くことはなくなったと話した。
地下壕での生活が続く中で、アーニャさんは教師が電話で勉強を教えてくれる水曜日が最も楽しみだと言う。「どの科目も好きですけど、一番好きなのは数学です」とアーニャさんは恥ずかしそうに話した。
今やドネツクの学校では、たまに授業ができればいいほうだ。学校は戦闘が下火になった昨年10月に再開されたが、最近また戦闘が激しくなるにつれて再び休校する学校が増えてきた。「宿題をやるのはまるでバカンスのようですよ」とアーニャさんの祖母は言う。
砲弾が落ちる中、4歳の男の子のミーシャちゃんは手に持った小さなゲーム機のカーレースゲームに夢中だ。母親のナタリア・スニジュコフスカヤさんは「ここでは食べて寝ることを繰り返す以外に何もすることがないんです」と話した。【翻訳編集AFPBBNews】
〔AFP=時事〕(2015/02/16-13:33)
親露派支配地域の中心都市ドネツクに住むアルチョーム君は、爆音が鳴り響くたびすぐに祖母のリュドミラ・タラソワさんに腕をつかまれ、アパートのそばにある地下の避難所へと走る。(写真はドネツクの地下壕(ごう)で、自分で描いた絵を貼った壁の前でポーズを取るアルチョーム君)
政府軍と親露派の戦闘が激化したため、アルチョーム君とリュドミラさんは生き延びるために、10日ほど前からほとんど地下壕に住んでいるような状態を余儀なくされているという。
「たまには新鮮な空気を吸いに外へ出なきゃならないけど、あまり長く遊んでいられないんです」毛糸の帽子から黒く大きな瞳をのぞかせたアルチョーム君は、AFPの記者にそう語った。
かつて工業都市として繁栄し100万人が暮らしていたドネツクだが、今ここに住む子どもたちの顔は妙に青白く、その目はどこか遠くを見つめている。
戦闘が10か月も続く中、学校のベルは迫撃砲の着弾音に取って代わられ、静けさと砲声の中で過ぎていく日々の中で子どもたちは恐怖心や退屈と戦っている。
国連児童基金(ユニセフ)は、現在ドネツクで約1000人の子どもたちがしばしば地下壕に避難する生活を強いられていると推定している。
■「友達はいなくなった」
アルチョーム君と祖母が避難するのは、コンクリートの壁と厚い鉄のドアがあるソビエト連邦時代に作られた洞窟のような地下壕だ。他に2人の子どもを含む40人が利用している。
アルチョーム君は単調な声で「友達はほとんどいなくなっちゃった」とつぶやいた。今はソフィアとラダという名の5歳ほど年下の双子の女の子と、合わせのベッドの間でかくれんぼをして遊ぶことが多い。
「絵を描くのが好きなんです」とアルチョーム君は言う。車や好きなサッカーチームのロゴ、人々、地球の絵。しかし、壁に貼られているのは戦車や重砲、ミサイルの絵ばかりだ。
ひざまずく3人の政府軍兵士の前に立っている親露派戦闘員の写真もあった。「爆弾を落としてごめんなさい」「もうしません」「約束します」という政府軍兵士のせりふが書かれている。
幼いソフィアちゃんもお絵描きが大好きだ。「ポニーの絵でしょ、それから私のベッド」。夢中になって絵に色を塗っていたソフィアちゃんは祖母に促されるとロシアのウラジーミル・プーチン大統領をたたえる歌を歌った。「大きくなったら絵描きさんになりたいの」とソフィアちゃんは言う。
■「宿題をするのはバカンスのよう」
ドネツク西部のペトロフスキー地区に住む11歳のアーニャさんと3歳のオレーシャちゃんの姉妹が地下壕の外に出ることはめったにない。戦闘の前線から約2キロしか離れていないこの地区にはよく砲弾が落ちてくる。
「ドアの外に出るくらいで、それより遠くには行きません」。赤いジャケットを着たアーニャさんはそう話す。3メートル程先にある倒れた送電鉄塔が、どれほど近くにまで危険が迫ったか物語っている。
「夜中に近くで爆発があると、びっくりして起きちゃうんです」とアーニャさんは言う。しかし姉妹の祖母は、子どもたちは戦闘に慣れて、もう泣くことはなくなったと話した。
地下壕での生活が続く中で、アーニャさんは教師が電話で勉強を教えてくれる水曜日が最も楽しみだと言う。「どの科目も好きですけど、一番好きなのは数学です」とアーニャさんは恥ずかしそうに話した。
今やドネツクの学校では、たまに授業ができればいいほうだ。学校は戦闘が下火になった昨年10月に再開されたが、最近また戦闘が激しくなるにつれて再び休校する学校が増えてきた。「宿題をやるのはまるでバカンスのようですよ」とアーニャさんの祖母は言う。
砲弾が落ちる中、4歳の男の子のミーシャちゃんは手に持った小さなゲーム機のカーレースゲームに夢中だ。母親のナタリア・スニジュコフスカヤさんは「ここでは食べて寝ることを繰り返す以外に何もすることがないんです」と話した。【翻訳編集AFPBBNews】
〔AFP=時事〕(2015/02/16-13:33)
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